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 1987 年の夏、私が46 歳の時、中国、チベット、ネパール、インドへ道≠求めて、決死の独り旅をしたことがあった。
 45 歳で亡くなった三島元年で余生はお釣りだと豪語していた頃の私だから、無事に生きて日本に帰ることのできる確率は50%という悲壮感を社員に残したところで、まんざら気障ではない。
 そして、あの夜の霊体験だ。
 あの夜とは、チベットからネパールへ向かう途中、崖崩れで山道が消失し、中印戦争の流れ弾で死ぬぞという中国人たちの警告にもめげず敢行した股旅だから、道中で命を失っても当然の報いという肚は固まっていた。夕方になっても土砂降りの雨が続く。生きて日本へ帰れないかもと思いながら、捨てられていたおんぼろバスの中で眠りに就いた。
 その時に、私の夢枕に立ったのが、私淑していた三島由紀夫だ。「今から申し上げることは、絶対に書かないで下さい」と深々とおじぎをする。折り目正しく、静座をして、私の眼をじっと眺めている。
 三十代前半の青年将校の顔で、その両眼は、チベットの山上で見た、湖のように、碧く澄み切っている。
 この事は、随分昔に書いた『「道」を忘れた日本人』(日本文芸社)で触れたが、その時点では、青色の謎が解けなかった。
ただ、こんな風に書いていた。
 ・・・・・・・・こんな眼の澄んだ美青年は見たことがない。その青年が、急に私のふとんに顔をうずめ、少年のように泣きじゃくる。
 「わかりました。私も文筆家のはしくれ、約束します。三島先生、その代わり、条件があります。今夜、私と付き合って下さい」
 夢の中では、「三島先生」と呼んでいる。
 縄暖簾で、酒を酌み交わした。
 その時、はっと眼が醒めた。
 外は、真暗闇。相変らずの土砂降り。
 「どうせ、日本へ戻れない。でも死ぬ前にもう一度三島に・・・」と思って眼をつむった。
 「お待ちしていました」
 再び三島が夢に現れる。夢では同じ事件は重ならないというから不思議だ。「じゃもう一軒行きましょう」と誘いかける。
 その頃から、私の知人が集まり始めた。
 「松本先生、三島由紀夫を知っているのですか。スゴーイ」
 周囲が騒ぎ始めた頃、三島の眼から青色が消え、いつの間にか、姿を見失ってしまった。死者と生者が語り合うことをセイアンスというが、この霊的体験を多くの人に語ったところ、「三島が霊界から呼んでいた」とか「何らかの遺志を継いでほしいという願望の表れだ」等々と、諸説は紛々としたが糸口はつかめないままだった。
 その中で1人、世界救世教の渡辺国際局局長の言葉だけが気になる。
 「それは、三島が会いにきたのですよ。あなたにとって、一晩三島と語ったと思っていても、霊界の三島にとっては、数分であったかも知れません。もし霊界だったら、三島は三十歳前半の人に見えたはずです・・・」(下線筆者)・・・・・・
 同書を書き下ろしたのは、平成三年の秋。
 それから15年近く経った今、私は再び神島にいる。そして、この朱色のデスクでペンを走らせている。あの澄み切った青色は、29歳の三島が『潮騒』を書いていた頃の眼の色であったのか、それとも島を包んだ群青色の海だったのか。
 三島が降霊した事件は、私の英文日記に克明に書き留めておいたが、あの「青」の謎については、ごく最近まで解明できなかった。その謎が解けた。
 あれから四半世紀近く経った、今年の夏のことである。
 皇太子が記者会見で「雅子の人格とキャリアを否定する動きがある」という異例のご発言があった時に、ふと感じたのがそのきっかけであろう。
 皇太子が「雅子を一生守る」と国民に向かって、愛を叫ばれた。
 その愛は、「私」に染まった「緑」の愛であり、紺染めの「公」の愛ではない。青の愛とは、大海原のごとく、(公に)遍く行きわたる、無私の愛、つまり「仁」のそれでなくてはならない。
 皇室の民主化は、皇室の俗化である。緑化である。緑は逞しく繁茂、すなわち侵略する。皇室から発せられた緑の発言は、日本全国の国民を震撼させた。
 誤解なきよう、概念規定しておくと、本稿で述べる「緑」とは、自然環境を意識した「緑」ではなく、<俗>の延長であり、<聖>を象徴する「青」の対立概念になる。

古神道あるいは民俗学でいうハレは、日常性を示す褻け

 (こちらでは俗で緑)に対する、神聖性のことで、色彩学でいえば、青である。
緑を穢れ、不浄性と置き換えれば、青は清(浄)めになる。物財に拘泥する欲は英語ではgreed(物欲)である。近代資本主義はマネー(green backs)を機軸として展開する。ココロを犠牲にエゴを正当化し、モノを計量化しなければ経済学は成立しない。だから、人々は青い心、つまり「情(こころ)」を失うことになる。
 この神島の海も汚れ始め、蛸、あわびの捕獲量も激減している。
 「歌島は人口千四百、周囲一里に充たない小島である」は『潮騒』の第一章、冒頭の言葉である。
 今、島の人たちは、三島先生がござった時の神島は、最も栄えていた時でした。人々は、素直で、純粋で・・・、と異口同音に懐かしむ。
 そして『潮騒』が4回も映画化され、脚光を浴び続けたにも拘らず、今や人口が500名近くまで激減し、島そのものが存亡の危機を迎えている。
  熟柿は落つ、というが映画『潮騒』が成熟を促進し、その反動として、衰亡を早めているのであろうか。いやそうではあるまい。
 日本全体が、皇室をも含め、緑化し始めているからであろう。日本文化が伝統(みち)という「青」を失い、大衆という「緑」に魂を売れば、日本はいずれ亡国を迎え、神島は真っ先に緑化の犠牲となる。
 三島由紀夫は、私の眼をじっと観て察してくれ、と私に哀願したに違いない。確証はない。しかし、三島から見た私の眼は、緑色に曇っていたはずである。私は青蛇(英語ではgreen snake)であったのだ。三島とは違うんだという、突っ張りも、驕りも心の隅にあった。緑の俗性だ。
 三島の割腹自殺の反響はどうであったか。「別に死ななくていいのに、生を大切にするこの民主主義の世に・・・」と世間は嗤った。多くの緑眼(嫉妬深い)の知識人たちも得意顔で、三島をそう嘲笑した。−<青>の喪失が神国存亡の危機に繋がるとも知らずに。
 青は死への憧憬、そして緑は生への渇望である。青と緑の間には、自己犠牲と他人犠牲ぐらいの隔たりがある。青は遠くにあり、緑は近くにある。青は過去、現在、未来を結ぶタテ糸である。綸(みち)とはこのタテ糸のアナログ(連続)で青だが、緑はその反対のヨコ糸でデジタル(非連続)である。緑はすぐに変色し、人心と同じくコロコロ変る。紺染めはできても、緑の草木で緑染めすることはできない。緑を死の色と忌み嫌う色彩学者がいるではないか。
 自分の中にある「私」を犠牲にしてまでも「公」に尽くすのが「仁」であったが、それが他(公)を犠牲にしてまでも己(私)を守る「愛」の告白がかっこいいという、戦後の価値観に染められてしまった。敗戦後の諦念観が生を謳歌する緑色・怪物を異常発生させ、青色の憂国の士は、ださいアナクロニスト(時代錯誤家)となり、英霊と共にすすり泣いた。
 緑は愛を語る。愛は英語ではlove で“l”で始まる。Live(生きる)、life(人生)、lust(色欲)、libido(情欲)と、それらの生を守るlaw(法)と共に高く舞い上がるが、Lucifer(魔王)のように堕天使の末路を辿る。緑の愛はエロスの愛に近い。しかし、青色の仁は、神の愛(アガペ)に近い。こう言い切ってしまえば、三島なら童心に戻り、そうだ、と快哉を叫ぶだろう。この朱色の机の背後から、三島の哄笑が聞こえてきそうだ。
 青は愛を語らない。緑が「褒めよ」と言えば、青は鏡のように立ちはだかり、「いや叱れ」と正反対のことを言う。青はtough love だが、緑はsoft love だ。戦後の民主主義は、体罰というtough love を葬り、ムチを捨て、アメだけのsoft love で若者を甘やかし、堕落させた。緑が「人権」を楯に、加害者の生者を守れば、青は被害者の死、そして死者の名誉まで守れと反論する。
 緑が「武士道と云うは死と見付けたり」を否定し、「死を生に置き換えよ」と世間に同意を求める。パンとサーカスがローマを滅ぼしたことは熟知しながら、人は甘い罠に嵌る。法もそれに同意する。しかし、青は死を選ぶ葉隠の精神こそ、誠だ。そして<法>は見えるgreen しか守れないが、<徳>は見えないblue までも守るべきだと道徳的な異議を唱える。
 法(緑)と徳(青)は矛盾する。その根拠は何か。緑は法律の文言で見えるが、青は徳で伝統的に不文律である。緑は変更(改正)できても、青は、変えることはできない。人工と自然の隔たりはそれほど大きいものだ。詔(みことのり)を核とする「不磨の大典」とは、青(みち)の聖法のことであり、摩滅するものではないから、緑の俗法たる現行憲法と一線を画す必要がある。
 緑は、人が編み出しうる、最も有効な説得手段を持つが、青は自然のルールで支配された納得の世界にあり、人為的な緑法の劣位に置かれるべきではない。
  青の革命家の思考は緑の法規では測り得ないものである。
  神島へ来るまでに、『三島の葉隠入門』を、英文(カサリン・スパーリング)でもう一度、車内そして船内で読んだが、三島が一番訴えたかったのは、客観(オブジェクティヴ)よりも主観(サブジェクティヴ)による意思決定の強みだ。明らかに、國学を優先させた山本常朝(『葉隠』の口伝者)のロジックを踏襲している。國学はあくまで鍋島藩の学であり、他藩の色眼鏡で判断してもらっては困るという開き直りだが、その虚言(はったり)で以って主観アクの強い三島は、日本全体の國学に置き換えている。
 割腹自殺までの三島の不可解な行為は、葉隠の精神を下敷きにしたものである。葉隠思想は、脆弱な緑を感じさせない、青の強靭さに支えられている。緑は変わる。青は不変だ。緑は侵略し、侵略される。青は侵略しないし、侵略されない。緑が術とすれば、青は道である。緑が見える術とすれば、青は隠された原理・原則であり、扇の要である。賑やかなスポーツが緑なら、観客を好まぬ武道は青である。
 テレビやマスコミで垂れ流される情報は、大衆を惑わす緑だが、ホットな本音を語る口伝は不動の青である。饒舌は緑だが、寡黙は青である。葉隠で述べる奉公人の道、そして陰徳は、青そのもの(true-blue)である。再び道は青である。極道は紫であっても、道の極みは群青色である。
 このように青と緑は赤と共に三原色のコントラスト関係にあり、本来拮抗するはずなのに、和して同せずという不即不離の関係を保っているではないか。この霊妙な知恵がまさに日本的霊性といえそうだ。青(浄)と緑(不浄)の「和」つまりバランスをとる実践哲学が腹芸(the haragei)とすれば、日本文化を露骨な流血から守った霊妙な駆け引きの原動力は、純白の腹≠ナはなかったか。
 その無色の真空を皇(すめらぎ)とすれば、無私・無欲を実践されている天皇こそ、至高の腹芸を演じてこられたし、また演じ続けられる唯一の祭司ではなかろうか。