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 三島由紀夫は、私にとって気になる存在であった。そして今もその意味で、自分を見る「鏡」のような存在である。
 「鑑」といえば、英語でいえばロール・モデルであり、自己を理想とする相手に投影すべき対象となる。大和言葉のかがみ・・・(神の間に「我」が入る)として崇めた方が良さそうだ。
 鬼才・三島由紀夫はそのように崇める対象であったか。
まさか。
 三島由紀夫は天才・小説家であったことは知っていたが、武道家を自認する私には、学生時代から、小説という虚構の世界をどこか低く見るきらい・・・が否めず、目立ちたがり屋の三島由紀夫を蔑む、といった心情が私の深層心理のどこかにあった。
 「三島由紀夫が知性の肉体化を求めるなら、オレは、肉体の知性化でいく」と、武道家(柔道参段)の私は、周囲にそう豪語したものだ。
 三島由紀夫が、ボディービルから剣道を始めた頃は、もう対抗意識に変わっていた。
 運命の糸といおうか、二人は奇妙な縁で結ばれてしまった。
 運命の糸という言葉は中国語にはない。中国語の糸は、絲、つまり蚕の繭の繊維を縒よったもの、に端を発している。日本では、昔から、二本の糸が、縒りあって一本の〝糸〟として使われてきた。糸は、一本の∫と、もう一本の∫が、DNAの二重螺旋のように、§と平行線を保ちながら絡まっているではないか。中国では、綫(セン)・線といい、糸(シ)とはいわない。
 中国人の使う〝絲〟は、お互いの糸(ベキ)が並んでおり、寄り添っていても、化学的に、相手に溶け合っているわけではない。あくまで、独立した両糸が、儒教と道教のように、物理的に結びついて、いや、政治的に結びつけられているのである。
 その意味で、日本の文化を形成する糸は、いざなぎ(男神)といざなみ(女神)が、DNAの塩基のように、仲良く結ばれている。遠心力と求心力が、相反する方向性をもちながらも、いやそれがゆえに、固く結ばれている。まるで鏡(mirror)ではないか。
 私が右手をあげれば、鏡の中の私は、右手ではなく、いや虚の私から見れば左手をあげ、実の私に逆らう。
  糸で結ばれた三島が左回りすれば、私は右回りする。気になる存在である。葉隠や陽明学、そして天皇について熱く語りかけ始めたかと思えば、映画に出演する。金のように目立ち過ぎる。銀の武道家ではない。(オレは三島と違って少なくとも金メッキ人間なんかではない)。そんな風に突っ張れば、突っ張るほど、三島を意識している自分に気がつく。
 そんな三島由紀夫が、割腹自殺した。涙がホロリとこぼれた。当日の当用日記に、イラスト入りで、三島散る、と書いた。
 三日間、食事がロクに喉を通らなかった。一方的に、糸という絆が断ち切られたので
ある。§にピリオド(、)が打たれ、中央の一刀で、ノと?に分かれやっと糸となった。糸は、六角である。結ばれたものを切り離す「小」はけじめ・・・であろう。そして中央の線が鏡となって左右にあるノと?が対立する。デジタル(断絶)化された両者が再び、§となり結ばれ、アナログ(連続)化する。その方法論を、私はディベート道に見い出した。それはともあれ、糸というものは、永遠に続くアナログである。これぞ、菊(権威)と刀(権力)、朝廷と幕府が、対立しながらも、絶縁しなかった日本の文化の特長ではないか。同じ東洋といえども中国や韓国にこの発想はない。三島由紀夫は、それを日本文化の再帰性と形容した。
 急ごう。本書を手掛けたきっかけは、三島由紀夫のあの紺碧の両眼である。詳しくは本論で述べるが、私が四十六歳の時夢の中で見た、三島のあの真青な両眼が、私に語りかけたものは何かと、これまで二十年近く考え続けてきたが、ようやく見えてきたからである。
 緑色の眼ではなく、青色の眼。生(快楽)へ誘い込むのではなく、死(苦悩)へ誘いざなわせる眼。日本語では、アオだが、グリーンとブルーでは、大違いだ。武士道の延長として、英語道に人生の大半を捧げてきた私には、日本人のアオが、なぜ英訳できないのか、気になって仕方がなかった。
 そこから、青と緑の世界に入ると、今、急速に緑化し始めている皇室が気になり始めた。青と緑は、生と死、聖と俗ほどかけ離れている-よもや混同してはならない。
 青と緑は、§と結ばれているが、ディベーター(知的武道家)の私はこれにピリオドを打ち、日本刀で断ち切ろうという衝動にかられた。それなら西洋かぶれのディベーターの分析だけで十分だ。それを再び結びつけるのは、デジタルの「術」ではなく、アナログの「道みち」であるディベート道である。すなわち、ディベートの目的は縁を結ぶ道である。そう、糸に縒よりを戻すのだ。
 そうしているうちに、日本はどうあるべきか、という道が見えてきた。道を英訳すれば、道徳的羅針盤(moral compass)となろうが、日本がとるべき選択は、平和、平和と念仏を唱えるのではなく、あくまで行動を伴った〝糸〟だという結論に達した。
  西洋の、そして一神教の糸は、蜘蛛の糸だ。同じ糸でも、節足動物が操る糸は、秘密結社のような陰謀めいた、粘着性のそれであり、「操る」という手偏の動詞が象徴するように、きわめて人為的である。
 東洋の糸は、あくまで蚕が流す絹糸である。絹糸といえば、中国の歴史を遡ることになろう。二千五百年前の黄帝の皇后が、庭で手にしていたお椀の中に落ちた蛾の繭が溶けて、広がったのに気づき、養蚕を手掛けたとのことである。漢の時代の中国は、匈奴からの侵入を防ぐために、貢物としての絹糸は大いに役立ち、自信を得た中国は、絹シルクの・道ロードで、ローマ帝国とも結びついた。
 イスラム教まで、絹糸に魅せられ、絹糸は、工芸品にとどまらず、貨幣としても尊ばれ、通商により、世界を結びつけた。そこには、政治的な意図はなかった。あくまで絹糸は、キリスト誕生より7世紀も前から自然の恵みとして重宝されてきた。
 本来、中国と日本、そして韓国を含め、アジア諸国は、絹で結ばれるはずであった。
 だが、今や中国と日本は、いつの間にかお互いの仮想敵となり、いがみ合ってしまった。だれかが糸を操っている。それは、姿を見せないが、笑っている陰の存在だ。アジアの「和」を妬み、分裂を狙い、賢さかしらする、多国籍的な蜘蛛の存在が気になる。
 この点に触れると、萬理紅(エフ・エル・ディー社長)と意気投合する。
 なぜ絹糸で結ばれなければならない両国がいがみ合うのか。どこかに、緑眼(green-eyed は、嫉妬深いという意味)の妖怪がいる。
  それはいいとして、私と彼女が同意したことがある。同じ絹糸の国といっても、金ゴールドが好きな中国と、銀シルバーで栄えた日本とでは大きな隔たりがある。それは、中国の歴史が「文」を妬み、「武」がいずれ「文」を弾圧し、前史を抹殺する易姓革命にみるごとく、陰と陽が平面的に繰り返すばかりで、立体化しない。つまり発展性がない。毛沢東も、秦の始皇帝の残虐性を踏襲したまでで、農民上がりの「武」が、「文」を弾圧し、文と武が、日本の糸のように結ばれ、文化と文明を結びつけるという試みが今日に至るまでなされたことがない。乱世と治世が交互に繰り返すばかりだ。せっかく古い歴史的遺産も、時の権勢の鶴の一声で「破壊せよ」といえば、葬られる。三峡ダムは破壊の象徴として歴史に残るだろう。
 日本は、中国や韓国が破壊した、あらゆる文化的遺産も大切にする。糸は切ってはならぬものという、思考が染み付いているのだ。伝統みちを死守するのが大和心といえば、吉田松陰。-かくすれば、かくなるものと知りながら已(や)むにやまれぬ大和魂-。
 吉田松陰は、青(天子、朝廷)に従さぶらうのが緑(幕府)だと喝破し、驕れる幕府を敵
に回し、葬られ、散った。その青を死守せんとした、松陰の赤き心に最も心酔した、後世の文士の一人が、三島由紀夫であった。三島は松陰を鑑としたはずだ。そしてその心は澄み切っていたは
ずだ。-三島の眼は青かった。
 殉死した吉田松陰の命日(旧暦)に、自らの命を絶った、憂国の士、三島由紀夫が投げた〝糸〟は何か。日本の未来を何色にせよとの思し召しなのか。
 とにかく、やむにやまれぬ心を抑えながら、糸解きのペンを順を追って進めてみる。