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 鳥羽港から連絡船が遠ざかるにつれ、茶褐色の近海は緑色を帯び始め、外海に近い神島に近づいた頃は、すっかり青色に変わっていた。紺碧の海に囲まれた神島−。
三島由紀夫が小説『潮騒』の中で描いた、歌島のモデルとなった孤島がそこにある。
「神島は、もうすぐ賑わってくるからね、今は言えないけど」と、得意顔で周囲に吹聴しながらも、小説のことには一言も触れず、島民の眼には不可解な都会人と映っていた。
神秘の域を通り越して、不気味な部外者という印象を与えていたらしい。
 「結核を患って、養生のために来られた」というまことしやかな噂も、蒼白く、濃い顎鬚の形相を想起すれば、肯(うなず)ける。
 「はなくた」(ヌルヌルとした掴みどころのない小魚、あるいは洟垂れ)という仇名(ニックネーム)も、悪意に満ちたものであったが、バルコニーで檄を飛ばしている三島を白黒テレビで観た、島民は
腰を抜かすほどの驚きを覚え、それ以来豹変したように三島先生と、敬称を用いるようになった。
 その三島由紀夫が29歳の時、当時漁業組合の会長をしていた故寺田宗一氏の自宅で一週間ばかり食客しながら、密かに『潮騒』を書いていた。
 今、私はその寺田家(家主はこまつ女史)の二階の一室を借り、故三島由紀夫が愛用していた、朱塗りの木机を借りて、感傷に耽りながら原稿を書いている。
 これまで何度、神島を訪れたことであろうか。
 この赤いデスクで、三島の脳裏を横切ったものは何だったのだろうか、と何度空想に浸ったことか。
 山口(百恵)・三浦コンビで映画『潮騒』のロケが行われていた頃の神島は、青年団も3支部に分かれ、競い合い、人口も1,400 名とほぼ適正規模で、最も活気にあふれていた頃だといわれている。今回、私が久しぶりに訪れて知ったことだが、人口が500 名近くにまで落ち込んでいる。このままでは老人しか住めない廃島になると、島の語り部、橋本達夫氏(74)が10 年前に予言されていた最悪のシナリオが、現実化しつつあるようだ。
 私には、この神島が神国・日本の末路のように思えてならない。多分、三島由紀夫が霊界から送っている青色のメッセージは、沈みゆく神島へのレクイエム(鎮魂曲)を書けとの思し召しなどではなく、神国・日本の再生に悲願(blue sentiment)を託した神曲ではないだろうか。神島を囲む青い海は、スピリチュアル・カラー(霊色)である。
 「青を求めて」というテーマで、日本的な随筆を書いてみようと思い立ち、つれづれなるままにペンを執ったのも、意外に霊界にいる三島の霊意なのかもしれない。憂国の「憂」の色彩はどう考えてもblue であるから、その反動で朱で化粧したくなるのだろう。それでなければ、この畏れ多くもこの朱の机での執筆など思いもよらぬことだろう。