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 英語の教師たちの集いでよくこんな質問をする。「今から述べる『あお』を使った日本語表現を、直ちにblueかgreenに色分けして、頭の中で同時通訳して下さい」と。
「青い空」 blue sky(群青色はmidnight sky blue)
「青い海」 blue sea(青海原はblue waters)
「青い池」 green pond(広い湖ならblue。琵琶湖の色は毎日変わる)
「青いリンゴ」 green apple(青菜はgreens)
「青信号」 green light
「君は青いよ」 You're green.(青二才はa green)
「青い目」 blue eyes (green eyesは嫉妬、そして悪魔の眼)
「青蛙」 green frog(韓国では「天邪鬼」)
「青懸巣(かけす)」 blue jay
「青かび」 blue mold
「青鷺」 (gray) heron
「青筋」 blue veins
「青虫」 green caterpillar
「青山」 近くはgreen, 遠くはblue, 更にかなたはgray
 この紛らわしい質問にもかかわらず、さすがプロの英語講師たちの正解率は平均70%に近かった。問題意識のあるネイティブ翻訳家なら、青山を苦しまぎれにblue-green mountainかgreen-blue mountainと訳すかもしれない。
 一箇所、私でも解答に自信のない質問があった。青鷺がジーニアス新和英中辞典によると、gray heronになっている。なぜgray(灰色)なのか、気になる。
 「広辞苑」によると、あお(青)はgrayに近いのだ。一説に、古代日本語では固有の色名としては、アカ、クロ、シロ、アオがあるのみで、それは明、暗、顕、漠を原義とするという。本来は灰色がかった白色をいうらしい。
 青でも緑でも灰色と同色に映るのであれば、日本人の眼は単眼ということになる。明暗と温度差を見分けるだけの単純な構造の眼のことだ。トンボや蝶といった昆虫は複眼だから、色彩感覚は遙かに優れている。
 この明暗を見分けながら、遠近法に惑わされない色彩感覚が腹芸≠ノ適するとすれば、物の形、遠近、運動、色彩などを分別する複眼システムは、危機管理のためのディベートを可能にする。複眼を、比喩的に、二つ以上の視点から物事を見ること(広辞苑)と定義すれば、ディベートが目指すcritical think(黒白思考)こそ、まさに日本人に欠落しているが故に、不可欠な思考であろう。
 criticalのシンボルは、「黒でもあり白でもあるという曖昧さを許さないほど、決定的に重要な」という意味である。「あお」とはブルーとグリーンという毛色の変わった兄弟が、ある時は仲良く、ある時は仲が悪くても、しっかりと結びついている。日本神話では、青い海幸彦と緑色の山幸彦が仲良く、「あお」の空間で、神遊びをしている。青と緑とは、赤に対し等距離を保つ三原色のライバルでありながら、日本では、もちろん琉球諸島でも、お互いに融け合っている。
 この「あお」という、あまりにも日本的な色彩感覚をロジックで分析すればこんなことになろう。