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 観世会館で能の『杜若(かきつばた)』を観た。
 懐かしい『鶴亀』(舞囃子)と狂言のあとの本格的な能なので、観劇者の私の方でも気合が入った。これぞ世界に誇る日本の芸術の極致!
 熱い泪が流れた。その時、なぜか能楽好きな三島由紀夫の霊が近くにいるのを感じた。
 在原業平の冠、悲恋の高子皇后の衣。この二つの形見を身にまとって秘かに舞う、幽玄の舞。
 かきつばたの花の精が、花となって狂おしく咲き乱れる ―― 秘やかに。仮面(小面)の美しかったこと。能面に隠れた霊の美しかったこと。
 あの能面の裏は、この世で浮かばれなかった義兄弟なのか。
 そしてあのかきつばたの精は、その顔無し男の、日陰の母なのか。
 その女の霊が、あさ紫の衣を着て舞う。三島はその小面に、妹(平岡美津子)を想い浮かべて泣いている。同じ熱き泪であっても、二人の想いは別々である。
 「胸がしめつけられるほど、切ない」と同席していた詩人の宿谷睦夫氏は言う。このクールな歌人は何を連想していたのか。
 高子皇后が雅子妃に思えて…。そして在原業平は悲運の皇太子。せめて一時的な皇位でもと、哀切の想いが去らない。
 宿谷氏と私、そしてあの世から観劇に来た三島由紀夫とは、物理的には同じ類の泪であっても、化学的反応はかくも違う。
 「冠」と「衣」と業平の「霊」は3位1体。その3つの見えないspiritsが、見える1つのsoulに凝結して舞う。
 あの無表情の小面。いや無表情だからこそ無限の流涙の可能性を妊んでいる。「間」の芸術の極致だ。「間」がpregnant pause(妊んだ休止)と訳されるのは正しい。
 皇室に男子が誕生した時、TIME誌は、It gave them a pregnant pause. とユーモラスに描いた。思わずニヤッとした。プロの英語だ。
 3は、3世を表す ―― 過去、現在、未来と。3は男性原理で、突き進むロジックを表す。
 三島は3が好きだった。小説『幸福号出航』のヒロインは三津子だが、最愛の妹美津子の美を三に変えている。本名の平岡よりペンネームの三島の方が好きだった。
 島は海に囲まれている。青に囲まれた緑の島が目に浮ぶ。彼方にある憧れの「青」は、ドロドロとした現実の「緑」と常に対立した。人は三島の作品と行動の中にアオを見たが、アオの中のブルーとグリーンの葛藤に気づかなかった。
 さて、この衝突(クラッシュ)の行く末は?
 三島を魅了した赤 ―― 血だ。

 「僕は、はっきりというとスペインの画描きのやうに血に飢ゑてゐるんだ。血をみたくてしやうがない。…(中略)…僕は人を殺したくて仕様がない。赤い血が見たいんだ。作家は、女にもてないから恋愛小説を書くやうなもんだが、僕は死刑にならないですむやうに小説を書きだした。人を殺したいんだ、僕は。これは逆説でなくって、ほんとうだぜ」(『文芸読本』三島由紀夫)

 ほんとうだぜ、というが、まだ私には信じられない。殺す対象は、自分(自殺)か他人(他殺)かのどちらかだからだ。
 私の六角ロジックによれば、天(他殺)か地(自殺)という相反する結論になる。そして三島は、自殺を選んだ。
 殉死か、それとも文学的な死か。
 そんなことは、今の私にとってはどうでもいい。どちらも正しいかもしれない。結論に血(赤)を選んだことに違いないからだ。
 完成された死。それは三原色の完成であった。