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Grow Younger 春の祭典
――松本道弘 人生70年の重みと軽み――

(日時)平成22年3月6日
(場所)外人記者クラブ

松本道弘 70歳

 

3月6日、東京の外人記者クラブで『松本道弘先生の古希を祝う会』が開催された。  
1940年3月6日、大阪に生を受けた松本道弘紘道館館長も今年で70歳。類まれな英語力で一世を風靡するも、その強烈な個性ゆえに世人の尊敬とともにときとして少なからぬ逆風も受ける激動の人生を歩んできた。
昨今ますます意気軒昂な松本館長。カマキリとスズムシをいたく寵愛し、シャーロック・ホームズばりの鹿撃ち帽を得意気にかぶり、音楽が響けば食あたりのエチゼンクラゲのごとき妙なるダンスを披露する。孤高の仙境に遊ばれているご様子。さすが天才はちがうぜ。 

  『紘道館はgrow youngerだ』――最近の館長はgrow youngerを強調する。いつまでも若々しく情熱豊かに生きていこう、ひたむきに学ぶ志を忘るるなかれ、と。  
そう、今日は松本道弘grow youngerの記念日。齢70にして新たなる誕生を告げる“春の祭典”だった。
   
豪華ゲスト陣

ゲストも豪華である。
ニュースキャスターの磯村尚徳氏が挨拶にたつ。
「松本先生には、アメリカのみならずヨーロッパにも目を向けていただければと思います」
世界を舞台に活躍するジャーナリストにとっても、松本館長は気になる存在なのだろうか。
そしてマッド アマノ・ドクター中松・末光義規各氏のスピーチ。あとになって村上憲郎氏もこられた。それぞれ個性的である。
衆議院議員の末光氏やGoogle Japanの名誉会長である村上氏など、館長の交遊関係にはいつもながら感心する。松本道弘の影響力、恐るべし。
商社マンからアメリカ大使館の同時通訳者、そしてマスコミの世界へ。激動の人生の光と影が交錯している。

 
サムライよ 復活せよ

館長が最近、情熱を傾けているのが武士道の再生。現代日本におけるサムライの復活を考えている。
そんな館長のアンテナにひっかかったのが惠隆之介『海の武士道』(産経新聞出版)。太平洋戦争中に日本海軍の駆逐艦「雷」が、艦を破壊され海を漂流中のイギリス海軍兵422人を救助した実話である。イギリス兵の生存者の一人が戦後来日し、そのときの艦長の墓参りをした。
イギリス兵の救助を決断命令したのは 工藤俊作艦長。生前にこのことは一切口にせず、市井の名もない人間として世を去った。
この出来事を再現した映像が上映される。艦を失い、命の危機に直面した敵兵に救いの手を差し伸べた“海のサムライ”の心根が胸を打つ。 
現代日本再生の要ともいえる新たなる「武士道」の復活。わが松本館長の目も輝いている。

 
マリア・ルス号事件――ディベートで奴隷を救った日本人

次のプログラムは1872年に横浜で起こったマリア・ルス号事件の紹介。
横浜港に停泊中のペルー船マリア・ルス号から一人の清国(中国)人が逃亡した。彼によると、中には数百人、奴隷のような境遇の清国人がいるという。
この船が奴隷船であることを悟った当時の副島種臣外務卿は人道的見地から清国人解放を船に要求し、彼らを下船させることに成功するが、ペルー側は裁判で「日本には遊女が存在するではないか。これこそ奴隷である。そんな国にわれわれの奴隷制度を批判する資格はない」という論法で反撃する(ペルー側のこのときの弁論が引き金となり、日本はまもなく公娼制度を廃止した)。
最終的に国際裁判で決着したこの事件だが、ロシア皇帝アレクサンドル2世の判決は日本側の行為を認め、日本勝訴の判決を下した。日本の人道主義が世界に認められたのである。
解説するのは横浜出身の俳優・平沼成基氏。横浜開港150周年記念公演「マリア・ルス号事件」をプロデュースした。一般人の知名度も低いマリア・ルス号事件だが、演劇という手法により、理解しやすい形で観客にこの事件の本質を伝えた。
開国間もない日本、「人権」や「国家主権」の概念もおそらく人々の中で明確に形をなしていなかったであろう時代にまさしく人間としての普遍的権利や国家の主権をかけて、少数の日本人が言論で闘ったことはもっと知られていいことだ。
いまだに人権意識の欠如を外国より指摘される日本。新しき武士道こそは、人間に生来備わっている自由と尊厳をこの上なく尊重するものでなければなるまい。

 
オバマは新しいアメリカを切り開くか

『オバマ大統領がヒロシマに献花する日』(小学館)の著者・松尾文夫氏が登場する。 日本とアメリカ、戦争終結より数十年の歳月を経て友好国になりつつも、決して原爆投下の事実が変わることはない。アメリカの大統領としてアメリカが原爆を実戦に使用した責任に初めて言及したオバマ。歴史のうねりの中で二つの国家の未来はいかなるものになるだろう。
『オバマの本棚』(世界文化社)でこの新時代の大統領に肉薄した松本館長。オバマの動向が、人一倍気になるに違いない。

 
「核なき世界」を次代に残そう

もう一人、原爆の惨禍を肌で知っている人物が登場する。NPO法人『未来に残そう青い海』理事長の齋藤孝氏。15歳のときに広島で被爆し、この世の地獄を目撃した。
当時の広島市内の地図がスクリーンに映し出され、説明する齋藤氏。それを松本館長が英語で同時通訳する。さすがに「帽子はとるべきだと思いまして」とそれまでかぶっていた鹿撃ち帽は脱いだ。
じょじょに口調に熱を帯びる齋藤氏。館長も必死で追いつく。皮膚がすべてずり下がった幽霊のような人々が“みず…… みず……”とつぶやきながらさまよい歩く地獄絵図を経験した15歳の齋藤少年。過酷などという言葉を超えた人生の入り口だった。
会場も重く沈黙する。
すべてを語り終えた齋藤氏。館長を振り返っていう。
「松本先生は今回、この通訳のために『実際に行かないとわからない』といわれ、わざわざ広島まで足を運んで下さいました」
感に耐えぬ表情で感謝の言葉を送った。
戦後は慶応義塾大学を卒業して民間企業で活躍、2009年7月にNPO法人『未来に残そう青い海』を設立し、次代に美しい自然環境を残そうと奮闘している齋藤氏。原爆の語り部は誰よりも“核なき世界”を待ち望んでいる。

 
10年後の世界 20年後の世界

次は齋藤氏、松本館長、歌手のジェット・エドワーズ氏、そして日本のアニメを世界に届けようと奮闘している岩崎弘治氏によるディスカッションである。
齋藤氏はみずからの被爆体験を『青いトマト』という手記にまとめた。それを英訳したものを受け取ったのが岩崎氏と、歌手でグラミー賞受賞者のジェット・エドワーズ氏(オバマ大統領のキャンペーンソングも作った彼は先日のICEEにも来てくれた)。
齋藤氏の手記を読んだジェット氏はみずから歌詞を作り、一曲を編んだ。
彼にはネイティブ・アメリカンの血が流れている。部族に伝わる少年が大人になる儀式があるという。父親が少年を荒野に連れて行き、目隠しして木に縛りつける。父親に置き去りにされた少年は一晩をそのままの状態で過ごす。周囲には獣の気配もして、少年は恐怖におののく。しかし目隠しをとったら不合格である。
翌朝、恐ろしかった一夜が明けてようやく目隠しをとる。そして少年は知るのである、家に帰ったと思っていた父親が一晩中近くから見守ってくれていたことを――
そしてジェット氏は“Green Tomatoes”……『青いトマト』を熱唱する。母親の思い出とトマト、そして原爆を歌ったメッセージソング。明るい歌声が悲痛な歌詞をつつみこむ。
日本への原爆投下の正当性を主張するアメリカ人、他方で原爆投下の責任を自覚しつつあるアメリカ人。世代は変わり、人も変わり、考え方も変わる。10年後20年後、世界はどのように変貌しているのだろう。

 
人生70年 新たなる旅立ち
最後に松本館長の講演。平成の武士道とは何かについて話をする。その後ペマ・ギャルポ氏もこられ、館長に挨拶される。  
今回、司会として仕切ったのが館長の女房役である浜岡塾頭。そしてもう一人、日本ディベート大会2年連続優勝の国際基督教大学4年生服部真子さんが裏方で奮闘した。  
松本道弘70歳。これまでの人生の重みとともに、新たなる道に軽やかに出で立とうとしている。
 
文責 松崎辰彦