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もしも今、熊楠が生きていたら ―― If Kumagusu were alive now.
 「市長、森を甦らせ、川を肥沃にし、海の幸を守るのは、急を要します。今から始めても、20〜30年はかかるでしょう。備長炭の姥目樫うばめかしが伐採できるまでの期間です。まず無用なダムを決壊させるとか…。南方熊楠が今生きていたらそんな提案をするでしょう」真砂田辺市長は目を輝かせて傾聴してくれた。隣に座っていた木下義夫氏(私の学友で、彼が以前市長選に出馬した時に応援したこともある。惜敗して、今は現役の税理士。元県会議員)が、「焦ったらあかん。市長就任後の第一期間(4年)は、先任者の尻ふきだけ。二期目から言い分が通るようになり、三期目から思い通りになる。松本君の理想論が通るのは、12年後のことや…」と水を差す。
「そんなに待てん、環境問題は」と、私とは意見が喰い違った。しかし、あわよくば何らかのコンサルタントの仕事にありつけるかもという底意がなかったわけではない。
聞けば、地方政府はどこも財政難。南紀にはこれといった企業もない。田辺市が合併し、熊野古道も加わり、近畿最大の市として注目され始めたとはいえ、はやり山岳地帯がどかっと胡坐をかいた最果ての地であることに変わりはない。昨日も、木下君の案内で古座川の天然うなぎを食いに行った。3時間のドライブは楽しかったが、やはり天然うなぎではなくがっかりした。川の水が良く鮎もうまいとの噂であったが、砂利で川床が高く、川そのものが痩せていた。
上流の杉や桧の植林で保水力を失ったのか、土砂が河口に向って流れ続けている。海が汚されているのは、「海の恋人」と呼ばれる森が汚されているからだ。大島(串本町)の芝 浩一郎氏(須江漁業協同組合長)は、「わたしたちは、しょっちゅう山へ行って、ドングリなんかを植えています。これも海を守るためです」と言う。
島民は自給自足をモットーとするから、漁業と棚田の野菜で食っていけるから羨ましい人たちだ、と思っていたが、山林のケアにも余念がないと知って、目からウロコが落ちた。紀伊田辺の駅で買った、本日付の「紀伊日報」紙を電車の中で読んだ。紀伊の人たちの86%が北と南の格差を歎いており、とくに最も大きい不満の種は、交通面のハンデだという。森が死んでいくことを歎いている声はなかった。紀伊の人が欲しいのは、環境問題以上に、高速道路や目先の仕事なのだろう。企業や大学の誘致もこんな辺鄙な南紀では、不可能だという。住民のジレンマはわかる。都会人のエゴだと反論されるかもしれない。だがこれは、この国を憂う魂の叫びなのだ。縄文文化に戻せ!熊野を「よみがえり」と「いやし」の地として経済的にも自給自足ができるようなムラづくりを目指そう!こういう掛声はこの地では生まれそうにないのか。
ところで私は町づくりより村おこしの方が好きで、椎葉村(宮崎県)が理想的なタウンとみなす男だ。こういう地で、私が仕事を求めるのは無謀だった。(やっぱり私は英語でしか食っていけない人間なのか?)ちょっぴり淋しい、南紀の旅だった。
2006年12月6日
紘道館館長 松本道弘