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旅人の敵は自分しかいない

 12月24日の夜。悪質の風邪と疲労(岡山「道の会」のパフォーマンスでハッスルし過ぎた)でダウン。岡山のホテルでは、夜中に何度も目を覚まし、嘔吐を繰り返した。しかし重苦しい胃袋は空にならない。翌朝、立ち上がれない。あさって26日に迫った息子との沖縄旅行までに回復できるか不安になった。
 薬を飲むか、それとも絶食して眠り続けるか。海外旅行では必ず一晩で治す修行を続けてきた。しかし今は66歳。
 旅人は毎日、セルフ・ディベートをする。ようし、いつもの通り、自然治癒でいく。そして寝床で執念のブログを書く。25日の日記は、悪魔の反対尋問(devil’s advocate)を神(自らを神格化しようとしていた私のこと)として受けて、自分をいじめてみようと思った。

 
悪:

ミチヒロよ、自分を旅人と言ったな。

神:

なりたいと言った。

悪: どちらでもよい。カッコ良過ぎる発言に変りない。カッコ良過ぎるとは不自然のことで、悪魔に魂を売ったことになる。
神: 「ぼくは旅人」の詩は、ブログ用に自然に書いたものだ。どこが不自然というのだ。
悪: 旅先で死んだ時の顔が笑っているかどうか気になると言ったな。今、言えるか。今、お前は地方のホテルでダウンしている。
神: 笑って死にたい気持ちは変らない。
悪:

今、お前が死ねば、家はどうなる?紘道館やお前を支持する人たちを悲しませることになる。明日は息子と沖縄旅行に行くプランがあったな。残された家族がお前の死に水をとる。お前の死に顔がそれでも笑っているというのか。

神: ……笑えないかも。
悪: だろう。お前のあのカッコ良過ぎる詩は、元気な時に書いたたわごとだ。
神: たわごと?何度も書き直して書き上げたのだ。プロのライターを馬鹿にするな。
悪: 今、笑って死ねるか?病の時のロジックは、お前の自慢の哲学をも裏切るものだぞ、ミチヒロ。
神: もしもという仮定法には答えたくない。私が死ぬわけがない。今、たまたま病に伏しているだけだ。
悪: もしもの質問に答えられないって、それが武士か?武士たるもの、非常時こそ現実なのだ。死はいつ訪れるかもしれない。そのことを常に自覚し、心構えを崩さないことがサムライの、いやお前のいう旅人の意地ではないのか。
神: では、死に顔はどうあればよいのだ?
悪: ワッハッハ、お前のロジックが壊れた、ミチヒロ。死ぬ時は死ぬ時の顔でいいではないか。死んだらわかることよ。
神: でも死に顔は笑っていたい。できれば葬式の時に雷を鳴らしたい。
悪: それを我執という。英語道七段の名人がまだ「我」にとらわれているのか。
神: 面目ない。どうすれば笑って死ねるか。
悪: 知らん。しかし一つ仮説がある。自然を味方にすることだ。
神: 自然を味方?今、私は薬も水も飲まず、二日間絶食している。それでも苦しみながら死ぬことだって自然の道だというのか。
悪: ふと考えたが、自然の意味がわからなかったら、「お母さ〜ん」と呼んでみろ。声をあげて「おかあちゃ〜ん」と。
神: この歳で、恥ずかしくて…。
悪: 齢は関係ない。たとえ十歳の子供でも百歳の老人でも、母の胎内から産まれた限り、そこへ戻りたくなる。声を出して叫ぶことだ。その音霊がお前の生命を戻してくれる。
神: 母にそんな力があるとは思えない。あんな糠味噌くさい母に…。
悪: いや、母というものは家にいて、目立たないからこそ磁力がある。母にならず女のままでいたい女は石女(うまづめ)の乾電池だ。デッド・バッテリー。母なる大地はガイヤ、そしてお前の母だ。旅人が旅人でいられるのは、どっしりと構えている母なる存在があるから。武蔵の五輪を六輪に変え、ガイヤの土のロジックを加えたのは、お前の母のお陰ではなかったのか。
神:

私は日本で知られたディベーターだ。そのディベートの鬼に向って論破しようとしているお前は誰だ? 私から磁力、いやカリスマ性を奪うお前は悪魔に違いない。

悪: いや、私はお前の良心だ。”I’m your conscience, Michihiro.”
神: 良心?
悪: 自分の中にある他人のことだ。鏡に映っているお前、そしてお前の先祖の顔だ。
神: 旅人にとり、最強の敵が自分であることをあなたは教えてくれた。
悪: いや、お前が慕っているクリシュナムルチなら、こう言うだろう。「私は何も教えていない。お前が独りで学んだのだ」と。お礼を言うなら、病で倒れたことだな。神(自然)に感謝することだ。私に対してではない。倒れるのも旅人の「行」なのだ。
神: 旅人は負けて学ぶか……敗れて良かった。
 
2006年12月25日
紘道館館長 松本道弘