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指のない男

 あの「叱られ上手」の名訳がまだ浮かばない。ネイティヴも四苦八苦していたが、まだ解答はない。
 ふと昔話をしたくなった。大阪の阿倍野YMCAで英会話講師をしていた頃だ。平野清君(英語とともに茶道の達人でもあった、当時の私の一番弟子)と私が「英語速読コース」を新設した。ナニワの英語道の哲学は、英語そのもの、そして英会話を低くみた。情報なき英語は英語ではない ―― それは死んだ英語だ。生きている英語とは、情報力に裏付けされた使える英語のことだ。使えてナンボという関西的プラグマチズムだ。音読している時間がもったいないという関西のソロバン思考で、発足させたのがこの速読講座。
 10名以内というエリート・コースだった。私の時間を測って挑戦したが、一人だけ私と同じぐらいのスピードで読む中年男がいた。異様な風貌の男で顔も上げず、私の顔を見ようともしない。音読させたが、身震いがするほど発音もよい。M木という中年男が気になり始めた。あの不気味な男は何者だろう。
 「平野君、あの生徒、君より英語力は上だ。オレにとっても恐ろしい男だ。近づいて何者か調べてくれ」
私はこういうintelligence(裏の情報)を重要視する。知って驚いたが、ある××組の元幹部であったらしく、指がない。カタギの仕事ができず、英語を武器として、身体を張って表の社会で生きていた。イリオモテヤマネコは普段夜行性だが、突然昼でも働くというから、組から離れて、よほど肩身の狭い人生を送ってきたのであろう。
 私はその人物と一対一で会って飲んだ。
 「そりゃ、私はカタギの世界で生きていくのに苦労しましたよ。いっさいケンカはできませんから…このように指を隠して…」
 「で、本当にケンカをしたことはないですか…元幹部のあなたが…」
 「カタギになって一度だけあります。この時だけは許せなかった。ある会社で、私より若い社員が3、4人で、私のことをM木クンと呼んだからです。いくら私がペコペコして、周囲に気をつかう中年オヤジでも、どうしてサンづけしてくれなかったのでしょうか。その時私は彼らに言いました。<いいでしょう。みんなで私にかかっていらっしゃい>と。彼らを倒すのに数分もかかりませんでした。そして、その会社を去りました。私も先生と同じく傷だらけの人生でしてね…」
 しみじみ語るその空手の達人、そして英語の、そして人生の達人 ―― 酒が回ってくると、どちらが先生か生徒か判らなくなっていく。
 たかが「サン」と「クン」の話ではない。裏の世界に生きる精一杯の自尊心(prideではなくself-esteem)であろう。M木氏は私のそばから離れなくなった。
 「先生、松本亨博士に英語で挑戦されるのですか、用心棒としてお伴しましょうか」
 「いや、あなたにお伴されては困る相手だ」
 20代の私の心はすでに上京して、日本一の英語使い・松本亨博士(NHKラジオ)に挑んでいた。
 <明日、東京へ出掛けるからには、何がなんでも勝たねばならぬ>
 カラオケで「王将」(坂田三吉)を歌う時、大阪の英語道場の面々が浮かぶ。しかし、絶対、表に出ないと誓ったM木という忍者の存在が忘れられない。

 
2007年1月28日
紘道館館長 松本道弘