最近つらつらと考える。私の人生は何だったのか。格闘家としての私と、教育者としての仮面がだぶることが多い。しかし、やはり教えることが好きであったことは変わらない。
私の教育者人生の流れは大きく分けて二つある。
学校教育と塾教育である。たまに両者が合流することがあっても両流はお互いマイペースだ。大ざっぱにシンボライズすると、「術を教える」と「人を育てる」というほど異質である。
今の学校教育は、教えて、育てない。しかし、ランクづけはできる。すぐに社会で役立つ電池人間を促成栽培する。数字での管理が得意。
しかし、学校教育では人間力はもとより人間の器(what it takes)は測れない。躾の科学的管理は困難だ。
だから、現代人は私塾を敬遠するのであろう。数字統制のできない人間の徳性、感性(感動する資質等)などの情理を涵養し評価するには、私塾に優るものはない。
その流れは、ナニワ英語道場に遡る。このことは、ブログ「元祖ナニワ英語道」(http://plaza.rakuten.co.jp/eigodoh/)に譲るとして、今の私塾紘道館について述べたい。ナニワ英語道、生駒英語道場の流れを汲んだ、私塾紘道館は、開塾後20年を越え、紆余曲折があったとしてもこれまで私が手掛けた私塾の中で最も息の長いものである。
この組織は、私の文化(価値観)と私の夢を守る母胎であり、塾頭は参謀として私につかえるので、疲労度も激しく、1年以上もたない。そしてその前後の2年間は、裏に回り、1年の表の塾頭を支えるので、トータル3年のサービス(奉仕)になる。この3年は徳を積む「行」の期間だ。
塾頭の任期は1年。十数名を越える歴代塾頭と、館長たる私とは、見えざる「魂の衝突」があった。しょっちゅう顔を合わせなければ務まらない関係になるから、いつも緊張感が漂う。お互いが将としての「行」を積んだ身だから、最後は英語力なんかではなく人間力、つまり陰徳の闘いとなる。
そんな中、ある男は、理想的な塾頭の一人だった… (続く)
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