同窓会に出席し、旧友の面々を見ていると、ふと思い出した。
三十数年前、巻頭言に書いた恩師の逸話だ。1971年発行『道』から引用する。
由良先生はこわい先生であった。確か私が小学六年の時、ある授業中に、半鐘が鳴った。近い火事だ。勉強が嫌いだった私は、火事のことで頭がいっぱいだった。その時、由良先生が生徒の気持を察してか、「ようし、みんな屋上へ見に行けーっ」と命令された。ワーッと生徒が一斉に教室から踊り出た。どうやら退屈だったのは私だけではなかった。相当遅れてから先生も来られた。
しかし教室へ戻った時である。各生徒の机の上には白いチョークでマル印かバツ印が付けられてあった。机の上の整頓が悪かった私は当然のことながらバツ印であった。
二十年経った今、当時、教室で学んだことは想い出せないが、そのチョークの白色だけは私の脳裏を去らない。あの授業中の一瞬の真空≠フ時間は無駄な時間だったのであろうか。教室で与えられた時間は、先生にとって教える義務があり、生徒も学ぶ権利がある。火事を見学することはカリキュラムに入っていないはずだ。その「遊び」の時間は先生にとって、又生徒にとっても非能率的な時間なのであろうか。もし、それが無駄な時間であれば、実ににくい無駄といえよう。なぜならば、恩師の無言の教育が現在の私の道的教育理念を支えており、年月が経つと共に、その無駄に益々魅かれるからである。
・・・こういう私も古い人間だろうか・・・
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