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『佐賀のがばいばあちゃん』に泣き笑い ― 後編

 泣きながら笑わせるのが、上方の芸≠ナあり、故藤山寛美が得意とした泣き笑いの上方芸である。
ナニワ英語道でブログを連載しながら、ますます上方芸に惹かれていく。たとえ広島出身であっても、佐賀で『葉隠』教育を受けても、洋七の芸の花を咲かせたのは吉本興業 ―― ナニワの地であったはずだ。
私のド根性を育ててくれたのも、ナニワという土壌であった。英語道場ゆかりの地である。
30歳で上京し、米大使館で西山千師匠の下で同時通訳の修業をした。
耳から入った英語(日本語)情報を即座に、日本語(英語)に変換し、同時に口から通訳するのが同時通訳という名のa spoken art 。
しかし、聴こうとすれば口から言葉が出ない。口から言葉を出そうとすれば情報が耳に入らない。アーとかエーと、耳ざわりな雑音を発すれば、なぁーんだ、大阪でしか通じないアマチュア通訳だと、酷評される。

「固定は死」―― 私自身を戒める武蔵の言葉だ。

 同時通訳のブースは、業界用語では拷問室と呼ばれている。緊張すると、胃が痛む。プロ同時通訳者の中でも前夜は必ず下痢をする者もいる。
終わってホッとするかと思えば、そうでもない。巧く訳せなかった時は、悔しくて眠れない。夜空に向って、独り泣く。
(やはり大阪へ帰って英会話の講師に戻るより、食っていく道はないのか。プラットホームで英語道場のメンバーに胴上げしてもらって上京したのに、今更戻れない。都落ちなんて…)

 涙が止まらなかった。その時、ふと泣きが止まり、急に泣きが笑いに変った。
(オレはバカだった。自分の英語力を買いかぶり過ぎていた。同時通訳は、英語バカにはつとまらない。日本語、それに情報量、教養。…オレの力の及ばん世界だ。もう野心は捨てよう)

 ふと、大阪で独り暮らしをしていたお袋を思い出した。同時通訳の仕事で、しばらく親孝行のことを忘れていた。急に帰阪し、孤独だったお袋を京都観光に連れ出すことにした。人生どん底になれば、必ずお袋の元へ戻りたくなる。
なぜかエネルギーが戻る。癒されるのだ。この「ドランゴンの松」にもマザコンという泣き所があった。
母親は磁石のような存在だ。
佐賀のがばいばあちゃんは、磁石でくず鉄を集めて生計のたしにしていた。くず鉄が磁石にくっつく。そのくず鉄が磁力を帯びると、他のくず鉄も磁化し、もっともっとくず鉄を集める。
磁石は永遠だ。人を感化するとは、そんなことではないだろうか。
『佐賀のがばいばあちゃん』には磁力があり、知恵に溢れ、教育的価値がある。だから勧められる。


2007年6月7日
紘道館館長 松本道弘