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〜 庖丁 対 英語 ― 前編 〜

プロ同時通訳者を縮み上がらせた有名人がいた…。
1970年8月28日、ロータリーの昼食会場で同時通訳。
「味道一味」というテーマで「吉兆」の創始者が話をされるという。
相手がどういう人かわからない。私の任務はその人のスピーチをできるだけ忠実に同時通訳すればいいだけのことだ。

当日の昼食前、初めてその人物に会った。70歳前後の白髪の老人。すごい人物だとその時感じた。
「食後、あなたの同時通訳をする松本廸紘(旧名)というものです。よろしくお願いします」。 忍者は相手の雰囲気から調べ始める。
「よろしく。ところでぼくは何をどういう風に喋ればいいのかね」。
この人は、準備なく喋る人、藤山寛美タイプ ――。

「それはあなたがお決めになることです」
「でもぼくの日本語を瞬時に英語に訳すんでしょう…」
「そういう気配りが同時通訳者を殺してしまうのです。私はあなたの機械ですから、情をかけてもらっては困ります」。 下忍は下忍らしく振舞った。

「………」
その白髪の老人は、一瞬黙った。そしてポツリと言われた。
「じゃ、お昼はあなたとご一緒させてください」
(ええ?)

次は私の方が恐縮して言葉を失ってしまった。本日のゲスト・スピーカーとして、一段高いところに食事が用意されている。
こちらは、同時通訳のブースといえども掘っ立て小屋。テーブルクロスもない机の上で、秘かに弁当を食べることになっている。
そこへ、あの名門「吉兆」の創始者が座られ、同じ弁当を食べながら雑談すると言われるのだ。しかもスピーチの前に。その余裕。
その日の日英同時通訳は、大過なくこなした。呼吸が合った人の同時通訳はラクになる。

それにしても、37年前のあの時に受けた畏怖の念がいまだに去らないのはどういうわけか。お名前は失念してしまったが、あの一瞬の恐怖はこの歳になっても甦ってくる。6〜7年前、やっとお名前をつきとめた。

湯木貞一(当時69歳)、1997年春逝去。享年97歳。

(中編へつづく)


2007年6月27日
紘道館館長 松本道弘