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〜 庖丁 対 英語 ― 中編 〜

あの「吉兆」の創始者が、名もない忍びの者 ―― 同時通訳者の私は自分自身をそう呼び、表の人とは一線を画すようけじめをつけていた ―― と食を共にする。 こんなことがあってもいいのか。

表のお侍が、裏の忍者の巣窟などに入るべきではないのに。
味道というものが、どこかで英語道と結びつくのかもしれない。
今もわからない。 わからない。 なぜ。 なぜ。
最近『図解「吉兆」仕込み庖丁さばきの極意』(遠藤功著、講談社)を読んでみたくなった。前々回の館長ブログでは黒川紀章との苦い想い出にふれたが、どこかでこの膿んでしまったトラウマを癒さねば、という思いが募っていたのであろうか…。

「吉兆」の心得なるものがあった。


一、 料理の主役は庖丁と心得るべし。

―― 当時の習慣で、今も私の英語力を庖丁に置き換えている。どの業種であれ道は同じだ。

二、 庖丁技を極めるには修練を要す。
―― 同情を受けることは、英語道の修行の妨げになる。

三、 料理は愛情より頭だ。
―― 楽しい英会話よりも、冷たいロジック(両刃庖丁)を扱う、苦しいディベート道を選ぶべきだ。献立は頭、思考だ。英語は丸暗記ではなく、思考だ。

四、 盛りつけまでが庖丁さばき。
―― 料理は、味覚、視覚、嗅覚、聴覚、触覚をすべて動員する。英語道もトータル英語をめざす。英語の道は、the way of life(人生道)だ。強い英語もいいが、真の強さは、目で、耳で、味わってみて、果たして美しい響き(味)があるのかどうかというテストに耐えたものでなくてはならない。

五、 庖丁使いでも季節感を表現する。
―― 日本料理は季節感を盛り込むことをつねに心がける。季節感のある英語とは、表現しにくいが、場を読んで英語を使い分けるということか。スピーチの英語が必ずしも少数の前ではうけないのと同じだ。 固定は死。

六、 素材の持ち味を知って切る。
―― 同じ素材でも調理法によって切り方を換える。素材は、TIME誌か、映画か、ネイティヴの英語か、とにかくイキのいいものを選ぶ。特定のガイジン英語に心をいつかせてはならない。教材には、イキのいい英語があるとは思えない。新鮮な素材を料理しなければ、英語は身につかない。いい師とは、いい素材を提供してくれる師でもある。

(後編へつづく)


2007年7月2日
紘道館館長 松本道弘