冒頭、芥川龍之介の『手巾』から引用する。
「こんな対話を交換している間に、先生は、意外な事実に気がついた。それは、この婦人の態度なり、挙措なりが、少しも自分の息子の死を、語っているらしくないと云う事である。眼には、涙もたまっていない。声も、平生の通りである。その上、口角には、微笑みさえ浮んでいる。これで、話を聞かずに、外貌だけで見ているとしたら、誰でも、この婦人は、家常茶飯事を語っているとしか、思わないのに相違ない。―― 先生には、これが不思議であった。」
(『芥川龍之介集』新潮社 P.51 )
この先生は英文『武士道』で世に知られた新渡戸稲造博士のことである。
亡くなった息子とは、先生の生徒・西山憲一郎のことだ。そして先生は、西山君の入院中に、1,2度見舞いに行ったことがある。
息子の追懐を淡々と語るその母親。
ふむふむと聴き手に回っていた先生。気が緩んだのか、何かの拍子で、手にしていた朝鮮団扇を床へ落としてしまった。団扇は、テーブルの下の、婦人の白足袋の側に落ちている。
再び引用する。
「その時、先生の眼には、偶然、婦人の膝が見えた。膝の上には、手巾(はんけち)を持った手が、のっている。勿論これだけでは、発見でも何でもない。が、同時に、先生は、婦人の手が、はげしく、ふるえているのに気がついた。ふるえながら、それが感情の激動を強いて押さえようとするせいか、膝の上の手巾を、両手で裂かないばかりに緊く、握っているのに気がついた。そうして、最後に、皺くちゃになった絹の手巾が、しなやかな指の間で、さながら微風にでもふかれているように、繍(ぬいとり)のある縁(ふち)を動かしているのに気がついた。―― 婦人は、顔でこそ笑っていたが、実はさっきから、全身で泣いていたのである。」(P.52)
これが能である。
西山夫人は、能面をつけて、舞い続けていたのである。片手をそっと無表情の能面に近づけるだけの動作で、いかに直面(ひためん)は鬼女になるまいと、格闘していたのである。
秘すれば花。
先生(新渡戸稲造)は、「これぞ日本の女の武士道なるぞ」と、自分の妻に嬉々として伝えた。奥方は日本びいきのアメリカ人で、熱心な聴き手であり、同じような感動を受けたことは、想像に難くない。
なぜ、今このエピソードを加えたのか。
……続く
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