なぜ、芥川龍之介の「手巾」を引用したのか。
我師・西山 千がこの世から去り、まだ喪が明けてない期間、師の影を追っていると、師がぞっこん惚れたE. O. ライシャワー元駐日大使のことを思い出したからだ。
師が、恩師である故ライシャワー大使のことを語られると、いつも相好を崩される。あの頃の師の人生は、大使の専属通訳官として、最も輝いていた頃ではなかっただろうか。
37歳で、大使に勧められて同時通訳をしたら、うまくできた。信じられない。同時通訳は、日系米人でもできない。師は空中へ舞い上がったはずだ。
ボイエ・ディメンテによると、「西山 千は、人種的には日系米人 ―― 日本人。しかし文化的にはアメリカ人」ということだ。
アメリカ人がアメリカ人大使を私淑したところで、決して不自然ではない。
私のような純日本人にとり、ライシャワーは、一人のアメリカ人に過ぎない。
しかし、師が、自分の師であるライシャワー氏をご自慢される時の得意顔を見ていると、弟子の自分までがうれしくなる。
とくに、師が大得意になって話されるエピソードが一つある。
姫路城の城主の名を一夜漬けで丸暗記して、大使を驚かせようと友人のアメリカ人と図ったところ、大使の方がもっと詳しく知っておられて、恥をかいたという、あの(『同時通訳おもしろ話』(講談社+α新書)にも出ている)話だ。
師と別れ、私は森分倶美女史(現在ニューヨーク市立大学教授)と一緒に、デルモントの郊外にあるライシャワー宅を訪れたことがある。
(…師が惚れた学者とは、どんな人なのだろうか…)
続く
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