師・西山千先生の訳によると、「前向きに」は、with an open mindであった。
この柔軟な訳。そして同時通訳の師としての姿勢 ―― 立派だった。
足利義満(ライシャワー)に認められた世阿弥のような関係であった。
大使と師の同通には花≠ェあった。狂言でもあった。
あの頃の師は、人生で一番幸せであったことは間違いない。妙花が咲いた。
パトロンと芸術家の蜜月はいつまでも続かない。
このことは、歴史が、そして私の個人史が証明している。
駐日大使が変る。今度は、若くて生意気なアメリカ人が赴任してくる。
―― こんな若僧の通訳なんか! …とは言えないのが、通訳官の悲しさ。
(…もう私も60を越した。この一年で通訳という激務から解放されたい。あとは後釜をどう育てるかだ。あの松本という男はモノになるのか、不安だ…)
と、師は思われたに違いない。
米大使館の試験に合格し、上京した直後の大使館広報文化局内の空気はギスギスしていた。
ブログでは書き尽くせないが、同時通訳の世界は、アポロの月面着陸の同通といった華々しく、カッコいいものでは決してない。
それは、壮絶な修羅道の世界であった。
思い起こしても胃が痛む。書きたくはないが、書かずにはいられない。
“I just have to.”
バスの中で、見知らぬ老婦人から、「アポロの同時通訳に感激しました。長生きしていてよかった」と、感謝の言葉をかけられ、涙する師。
あの泪は何だったのか。49日間の服喪執筆で、思考を水晶化したい。
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