::松本道弘 巻頭言
::例会報告
::松本道弘プロフィール
::紘道館とは?
::英語道とは?
::館長ブログ
::松本道弘 日記
::斬れる英語コーナー
::書き下ろしエッセイ
::松本道弘著作集
::講義用テキスト(PDF)
::松本道弘対談集(動画)
::ナニワ英語道ブログ
::日新報道
::TIME asia
::ICEEコミュニケーション
  検定試験
::ワールドフォーラム
::フィール・ザ・ワールド
 
お問い合わせ先

〜 パトロンと芸術家 〜

師・西山千先生の訳によると、「前向きに」は、with an open mindであった。
この柔軟な訳。そして同時通訳の師としての姿勢 ―― 立派だった。

足利義満(ライシャワー)に認められた世阿弥のような関係であった。
大使と師の同通には花≠ェあった。狂言でもあった。
あの頃の師は、人生で一番幸せであったことは間違いない。妙花が咲いた。

パトロンと芸術家の蜜月はいつまでも続かない。
このことは、歴史が、そして私の個人史が証明している。

駐日大使が変る。今度は、若くて生意気なアメリカ人が赴任してくる。
―― こんな若僧の通訳なんか! …とは言えないのが、通訳官の悲しさ。

(…もう私も60を越した。この一年で通訳という激務から解放されたい。あとは後釜をどう育てるかだ。あの松本という男はモノになるのか、不安だ…)

と、師は思われたに違いない。
米大使館の試験に合格し、上京した直後の大使館広報文化局内の空気はギスギスしていた。

ブログでは書き尽くせないが、同時通訳の世界は、アポロの月面着陸の同通といった華々しく、カッコいいものでは決してない。
それは、壮絶な修羅道の世界であった。

思い起こしても胃が痛む。書きたくはないが、書かずにはいられない。
“I just have to.”

バスの中で、見知らぬ老婦人から、「アポロの同時通訳に感激しました。長生きしていてよかった」と、感謝の言葉をかけられ、涙する師。

あの泪は何だったのか。49日間の服喪執筆で、思考を水晶化したい。


2007年8月7日
紘道館館長 松本道弘