さて、足利義満が将軍になったばかりの17才。美童の世阿弥はわずか12才だが、若さに共感したのか、美貌に惹かれたのか、この時以来観世座のパトロンになる。
芸術家とパトロンの関係は、秀吉と利休の例を引くまでもなく、異様なまでに燃え上がることがある。英訳すれば、fatal attraction(危険な情事)になる。男色関係もあったのでは?
父の観阿弥が亡くなった時(1384年)、世阿弥はわずか22才。
この時から2人の関係はあやしくなる。
義満の好みは、近江猿楽の犬王道阿弥の方へ傾いていく。
しかし、世阿弥は、申楽に武家好みの幽玄(英語道でいう「強く、美しい英語」に近い極意)をとり入れ、芸の中身を変えていく。世阿弥が精進しながら、この時期に書いたのが『風姿花伝』だから、気迫に満ちている。
父の死から10年経って、将軍は義満から義持に代わる。
義持は芸に厳しいので、世阿弥の申楽も一段と幽玄味を増し、禅の世界に近づいていく。英語も禅に結びつき、英語道になった。
しかし、世阿弥も年齢を重ね、美貌もうすれると、将軍から疎んじられ、ドサ回りが多くなる。人気は次第に衰えていく。60才で出家、そして72才の時佐渡へ流される。
英語道の虚しさ ―― いや、英語のことではない。能と世阿弥の人生のことだ。
能は、演じた瞬間に失せる。
虚しい。
藤山寛美が私に語ったことがある。
喋りや笑いは、川の瀬に絵を描いたようなもの。あっという間に消える
―― 虚しいもの。
西郷隆盛も上司が変って、何度も島流しされるという憂き目にあった。
今のサラリーマン生活と変るところがない。男時(おどき・ラッキー)があれば、女時(めどき・アンラッキー)な時もある。それには、逆らわず待て、と世阿弥が言う。
―― すまじきものは宮仕え ――
世阿弥、宮本武蔵 ―― 名人の晩年はなぜかくも哀しく、虚しいのか。
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