人は、秘花に惹かれる。顕花はlookするもの。そのシンボルの解釈は人任せ。しかし、秘花は、イメージするもので、see(あちらからこちらへ=見えてくる)するもの。眼をつむれば花は見えないが、秘花は見えなければ見えないほどイメージは膨らむものだ。
秘花は磁石であり、花は電池である。充電するためには、しょっちゅう取り替えなければならない。それがいやなら造花。死んでいる。充電しなくてもいい花はないものか。
それが、古代ギリシャ人が求めたエロス。人を惹きつける根源的な愛だ。そしてエロスとは、ダイモン(守護神)のような磁石的存在であった ―― そこにはdemonic(小悪魔的)でいたずらっぽい(playful)な遊びがある。
エロスとは、アフロディテの息子で恋愛の神であり、ローマ神話のキューピッドに当たる。だからどうしても性愛に結びつく。精神分析の分野では、エロスはlibido(性欲)、そして自己保存本能(life instinct)を意味し、死の本能(Thanatos)と対比される。故・三島由紀夫はこの間を彷徨した。
生き残るために必要な、情欲がエロスとなれば、それは生殖、つまり発生を意味するので、そこにはダーティーなイメージはない。eroticismとは、結びつける神意(divine will)なのだ。
愛(love)は便宜上、erosとsexに分けてみよう。
erosは、何か創造するための結びつけであれば、それは必ずしもオスとメス、男と女の結合を意味しない。
美に憧れる、勇気に憧れる、名人芸に惚れる。
それらはすべからく、見えざるエロスの成せる業だ。
sexは違う。ラテン語のsexusはsplit(分裂)を意味するから、語源上、男と女が切り離されることになる。
師・西山千と私の間には、男色関係はない。sexはない。しかしそこに永遠のエロスがあった。
もっともエロスは性(情)欲と結びつきやすいが、もともとの意味は、欲求、憧憬といった根源的なエネルギーであった。師の遺骨や遺灰がなければ、師に似たカマキリでもよい。
そこにエロスを感じれば、創造性は永遠に約束される。それがエロスだ。
明治時代にsexという英語が日本文化に迷入し始めたが、それまでの日本人は性を「色」と呼んでいた。色は磁石だと『日本の気概』(日新報道)で述べた。
色男とは、好男子というニュートラルな意味以外に、「もてる男」(磁石のようにattractiveな男)が第一義であった。そして付随的に「好色な男」となった。
決して色男がエッチな男という意味ではない。
それはすべてsexに結びつける今風の解釈だ。エロスには性愛以上のものがある ―― 惹きつける磁石的な魅力。
だから、eroticismが「秘花」に結びつくのだ。
秘花は究極のエロチシズム ― その(4)へ続く
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