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「青い糸」第2章 11より 
秘花は究極のエロチシズム ― その(5)

ソクラテスは、愛とは何かを考え続けた挙句、「必滅(モータル)でもなければ不滅(イモータル)でもない。その真ん中に存在するもので、神と人間を繋ぐダイモンだ」と述べた。やはりspiritなのだ。

フロイドは、リビドー(性欲)は人を死へ導くという。死の本能は自己破壊に至るが、それを救うthe spirit of lifeがエロスだという。品格を守るために、サムライは死を選ぶ。それに歯止めをかけるのがエロスだというのだ。エロスは全体を活かすために闘う。

エロスはyearning for wholeness(全体への希求)である。これぞ聖徳太子の述べた「和」に他ならない。wholeness(全体)への熱望、憧憬がエロスなら、まさしく日本人が求めている和道≠サのものではないか。
和道は念仏ではない。「行」そして「道」であるはずだ。

ディベートと<道>を結びつけた私の意図は、真理との交接=iUnion with the truth)であったが、それがeroticismの極致であることに気づかせたのは、もしや今私が握っているこの万年筆なのかもしれない。

この手にあるペンは、カマキリを内部から動かすハリガネムシのように、死路へ誘わせる。三島由紀夫という大カマキリは、内部のハリガネムシ(緑色の蛇だろう)との死闘の一生を殉死という形で終えた。それはエロスの勝利であったのか、敗北であったのか?

故・西山千師匠を追慕しながらも、日本の将来を憂い、『日本の気概』を書き終えたものの、まだ燃え尽きぬ、私の憂国の情は、自己発生的なエロチシズムにより翻弄されているかのようだ。

 

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2007年10月26日
紘道館館長 松本道弘