10月21日、南方熊楠生誕の地、和歌山を訪れた。今も余韻が残る。
以下、「ナノテク・ジャーナル」に寄稿した一文を掲載させていただく。
英語の鬼で知られている私でも、知らない単語に出くわすと慌てふためく。
ナノロジックという言葉だ。ロジック(論理)なら判る。ロジックを鍛える手っ取り早い方法はディベートだと主張し続けてきた私が驚いた。ウィキペディアを引くと、「定義を嫌うロジック」であることが判った。
博物学者・南方熊楠が喜びそうな常軌を逸した発想だ。ある時は動物、ある時は植物、ある時は死んで、ある時は生きている、という得体の知れぬこの生物とは何だろう。それが粘菌(変形菌の一種)だと判った時、熊楠は雀躍した。顕微鏡を覗きながら、「これで宇宙が見えたぞ!!」と吼えたという。
ところがナノテクノロジーの世界になると、10億分の1にまで超極小化されるから、目に映るモノはすべて、形が無くなる。「まるで乱世じゃないか不安だ」と考える人は治世でしか生きられない現実家(リアリスト)だ。乱世だからこそ面白いと前向きに考える人は、理想家肌だ。
ベンチャー・ビジネスは既成概念に挑むナノロジックを武器として闘うロマンチストである。1月15日、屋久島の縄文杉(樹齢7000年以上)を拝む、エコツアーに参加した。山登り往復10時間という苦行だった。その間いろいろ思考を練った。なぜ屋久杉(樹齢1000年以上と定義されている)が長生きするのか。
1.石山で環境が悪い。花崗岩の山は生物にとり厳し過ぎる生態環境だ。だから、岩に負けまいと必死に根を張る。品格ではない「気概」である。大企業は品格で食っていける。しかしベンチャー・ビジネスのリーダーには守るために闘わねば、という「気概」が必要だ。
2.風が強過ぎる。台風に直撃されるこの島では杉が高過ぎると倒される。かといって低ければ、より高い木に隠れて光を奪われ影殺される。だが、太く短く育つ知恵が生まれる。年輪のキメが細かいのは、ねばり強い樹脂が急激な成長を好まないからだ。めったに枯れず、その可塑性が岩の上に根を下に、そして縦横に広げるという。
3.水が多すぎる。日本一の多雨地帯(大台ケ原といい勝負)で、北海道の一年間の雨量は、台風時の屋久島の1日の雨量に匹敵するという。山崩れが多く、巨大な花崗岩がゴロゴロ流れ落ちる。水に負けまいと必死に根を張る杉は、他の木々の根と仲良くネットワークを張る。木々の仁義といおうか、亜熱帯的結束はとにかく固い。
4.山火事が恐い。しかし屋久杉たちは火にも負けぬよう自らを珪素化する。シリコン化すると、もう化石。燃えない。木が石に化ければ、恐ろしいものはない。お互いに長生きしてよかったなぁと慰め寿ぎあうことができる。長齢でなく、長寿である。樹齢3〜4千年に近づく三世代杉も一世代はすでに耐火レンガ。
5.空洞化している。中が空になる。空は道でもあるというのがナノロジック。この中空の思想こそ長寿の鍵である。長寿の杉のほとんどは、胎内が空っぽだ。だから枝分かれの巧みな屋久杉は、家族をそして村を集落を大きくしていくために自己犠牲を厭わない。
経営学でいう、ノレン分けの知恵もここにある。シーラカンスも背骨が「空」の状態になっている。法隆寺の構造も中空状態だ。長寿できる企業には哲学という背骨が強く、しっかりしている。しかしフレキシブルで中空状態に保たれているから、バランスを失うことがない。硬より軟。これも一種のナノロジックだ。
五角形と六角形の鱗に囲まれて、蛇のようにくねる、ナノチューブの外観だけを見る人も、見えざる「空間」に気づかない人が多い。不可解な「間」、不透明な「中間」。
空 ―― そうだ、空とは道のことだと宮本武蔵は五輪書で述べる。
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