墓はない。遺骨も遺灰もない。
風のように、この世を去った故西山千。
千の風。
その風を追っているうちに、一匹のカマキリと岐阜の合掌苑で出会った。
深夜に部屋中をそのカマキリが飛び回っていた。翅はカマキリにとり伝家の宝刀。めったに抜かないものなのに、西山千師匠はよほどはしゃいでおられたのだろう。
これも、不肖の弟子であった私の身勝手な解釈によるもの
―― 私は思い込みが激しい。証拠はないのだ。
師は西山流という流派を残すこともためらわれた。
「松本さんは、いつか瑞宝章なんかの叙勲を受けられるでしょう」という予言めいた言葉を残されたまま、消えられた。
勲章なんかより、一度でいいから弟子と呼んで欲しかった。
眼前のカマキリをじっと眺め、ちびりちびりと日本酒を飲みながら沈黙の師に話しかける。
ある時は、美空ひばりの「悲しい酒」を口ずさみながら。
そのカマキリはもういない。
最近、同じ合掌苑の庭で、40日ぶりにカゴから師のカマキリを取り出し、別れた。
風のまにまに、師を解放した。あじさいの葉の上で、少し水泡をなめたあと、ずっとじっとしていた。
そのままの姿勢で、動かない。
このあじさいの茂みが亡き師の墓地、そして、師弟が密会する霊地になった。
この霊地でこっそり祈る。やはり私は縄文的日本人なのだ。
墓から師の声が聞こえるかもしれない。
〜私のお墓の前で
泣かないで下さい
〜そこに私はいません
眠ってなんかいません〜
ヨコの会の上野光一事務局長(セミプロ歌手)が浅草の歩盃(ポパイ)で「千の風にのって」を歌うとき、必ず師を思い出し、目頭が熱くなる。
誰だ。あんな哀しい歌を作詞した人物は…。
人間か、カマキリか。
西山千と松本道弘 ―― センとミチヒロの哀歌。
「千の風になって」
歌を聴きたい方はこちら→ http://jp.youtube.com/watch?v=fCY5SQXQByQ
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