「通訳なんて呼ばせてはいけない…通訳者だ。我々にもプライドがある。一寸の虫にも五分の魂があるんだ」
そんな頼もしい師について行きたかった。
「日本一の芸人 ―― 同時通訳者になって、恩返しをします」
と言って師の眼を覗き込んだことがある。
…… 沈黙 ……
あの眼は、カマキリの眼であった。左右の複眼の瞳の焦点は定まらず、それぞれ別々のところへ向けられていた。
ついて来いとは言われない。ついて来るなとも言われない。
答は沈黙だった。
もし、ついて来いと言われれば、NHKテレビに出演する機会はなかっただろう。
しかし、死に物狂いで同時通訳の鬼になっていただろう。
歴史に「もしもあの時」はない。しかし、今後の私の生き様の教訓になる。
いったん、師と心に決めた以上は、師から破門と言われるまでついていくより他はない。破門されても、「ありがとうございます」とお礼を言って去るのが、武士の「残心」だろう。
よもや逆ギレなどあってはならない。
お互いに風の心だ。
最近、紘道館の私の補佐である浜岡勤氏(国際ディベート学会理事長)と、佐宗邦夫氏(ワールド・フォーラム代表幹事)、上野光一氏(ヨコの会事務局長)と私の4人で、熊野へ世直し戦略旅行(別名カマキリ旅行)に出掛けた。
南方熊楠記念館(南紀白浜)、田辺、そして龍神温泉と、ずっと一緒だった。途中、真砂市長の肝煎りでお世話になった、観光課の谷さん(カマキリとハリガネムシの研究家)が一匹のカマキリを捕獲してくれた。
水にお腹をつけてもハリガネムシが出なかったから、孕んでいたのだろう。佐宗氏がそのカマキリを東京の自宅の庭に放して、世話をしながら観察をするという。
その日の夜、佐宗氏がいう。「西山師匠の影を追うのもいいが、空しいしもったいない。西山先生が松本さんに期待していることは、日本一の通訳者になることではないでしょう。自分を超えて羽ばたいてほしいはずだ。陽の目を見なかったグローバリストの南方熊楠を通訳して、世界に広げる方が、亡き師の恩に報いることになるのではないか。環境を守るために闘ったサムライ学者を…」
浜岡、上野両氏も同意し、彼らも再び南方熊楠研究に着手するから、田辺市を引き立てていこう、という気運が高まった。
うーむ、南方熊楠か…。
青から緑の時代に移行するか…。
和歌山県田辺市のHP→ http://www.city.tanabe.lg.jp/
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