上京する数年前といえば、私が20代後半の頃であった。
英語界の天下人・松本亨博士の研究所をぶらりと独りで訪れたことがある。
M理事長が大声で怒鳴っている。
「君ね、ただで働かせて頂きたいと言うがね、NHKラジオ講座を聞いて、ただでも働きたいというボランティア人間が日本全国にゴロゴロいるんだ。やる気と実力がなかったら、足手まといになる。とっとと出ていけ!」
そんな激しいやりとりを耳にして、身のすくむ思いがした。
宝蔵院の坊主たちが、あの激しい槍稽古をしている風景を目撃してしまった浪人・武蔵のように、武者震いがした。
この入道のようなM理事長が師と仰ぐ松本亨博士とは、どういう人物なのか。
私はこの神格化された人物と、いったいどんなルールで対決をしようとしているのか。
挑んだのは私の方だから、今更逃げるわけにもいかない。
英語は私にとり日本刀である。
60歳を越えた松本亨博士、そして師を守り固めている門弟たちも、英語でメシを食っているプロばかりだ。
いずれ松本亨博士と英語で一戦交えることに相成るが、その生々しい過程と結末は、到底このブログでは書けない。
今、私が肩の力を抜いて書きたいのは ―― 多分気は抜けないだろうが ―― 後日談である。それも私がNHKテレビにレギュラー出演し、そのスタジオを去った後の話である。
そう、あの日…。
その3へつづく。 |