私の師・西山千は「前向きな」をopen-mindedと訳されたが、最もopen-mindedな生物といえば粘菌 ―― もし粘菌を生物と定義すればと限定して ―― であり、熊楠のような語学の天才である。
熊楠は、性に関する話が好きだ。
しかし、彼自身は性に関しては淡白であった。
彼の誇りは、いくら貧乏であっても借金をしなかったことと、妻以外の女性とは一度も関係をもったことがないという二点であった、という。
熊楠が密通した相手といえば、日記、読書、猫、そして大日如来であったような気がする。
彼の妻(絶倫過ぎる夫から逃亡したこともある)も、彼の英語(多言語への転換を可能にした鍵言語)も、すべて嫉妬深い愛人に過ぎなかった。
熊楠は中三(14歳)の時に日記を書き始めている。もう40冊以上ある。
奇しくも一致した。私も14歳から毎日書いている。
今年54冊目になるから、日記に対する「凝り」に限定すれば、私の方が上だ。
私はペン。彼は毛筆。絵の巧さは私と互角。彼の日記に描かれている毛筆画 ―― とくに絵具が使われている ―― は、画家並みだ。
中瀬喜陽氏(南方熊楠顕彰館館長で現在75歳)は、ミナカタ文字(神代文字のような)の数少ない解読者で、語り部でもあり、今も尚、熊楠日記の解読を進められている。
しかし作業は遅々として進まず、解読の有志も高齢化し、出版社からも快諾が得られず、日暮れて道遠し、と歎かれている。
熊楠と私を結びつけた日記道に関しては、いずれこのブログで書いてみたい。 |