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早期英語教育より、早期日本語ディベート教育だ 〜その3〜

ディベート力には「読み、書き、聴き、話す」という四技能の全てが加わるから、とっさの判断、つまり決断力(critical think)の涵養に役立つ。
「AもBも」ではなく「AかBか」という発想は、日本人にとり苦手なものだが、危機管理の一環としては避けられぬ瞬発的な意思決定は、役立つものである。

国語力とは、古典文学の鑑賞 ―― これも大切だが ―― もさることながら、討論、交渉等に於けるひらめきや価値創造も加わるから、トータルな人間力が増す。
グローバル思考で世界の常識を吸収するために、速読、速聴、速書、速話、速考は避けられまい。

ところが惜しいことに、英語好きな人は往々にして、言葉の背景にある情報や哲学よりも、外国語そのものに酔いがちで、日本人としての矜持を再認識する余裕がなくなっている。
もっと日本語による教養と思考訓練(ディベートや読書体験を含め)も必要である。日本語をグローバルなロジックで強化する工夫は焦眉の急である。

祖国とは母語である。祖国愛とは母語愛である。
2つの言語は2つの文化である。1つの言語しか知らない人は、ゲーテの発言を俟つまでもなく、その唯一の言語の何たるかを語る資格すら失うことになる。
したがって、外国語を学ばせるという発想そのものは間違ってはいない。

その証拠に、「小学校英語教育不要論」を唱えている知識人のほとんどが英語ペラペラ族である。祖国を愛する人は、他国民の愛国心をも受け容れる。
しかしいずれかを愛し過ぎるところから、衝突が生じる。中庸を重んじる国際人は、ディベートにより彼我のバランスを模索すべきである。

ディベートは品位を失わず論敵と対決する知的スポーツである。そのルールは敵のプレイヤーに敬意を表し、彼らからも学べるといった爽やかさと、心の余裕である。
日本に数多あるディベート組織の中には、「ディベートは全面否定だ」と断定するカルト的リーダーがいるが、誤解も甚だしく、品格の無さに呆れる。

論敵の立場を尊びながらも凛として妥協せず、是々非々の姿勢を崩さず、たとえ敗れても潔く敗北を認め、相手の勝利を賞賛し、感謝を込めて握手を求める。
ここでディベート道(論道)は、西洋の騎士道の優しさ(ジェントルマンシップ)と、日本の武士道の美意識とが合流する。

勝って驕らず、負けて倦(う)まず、禅の平常心で行うのが論道(ザ・ウェイ・オブ・ディベート)である。
この議論、交渉、談判、外交に通じる美学は、まず言霊の霊威に育まれた日本語によるディベートから学び始めるのが筋であろう。
隗より始めようではないか。

2008年2月22日
紘道館館長 松本道弘