今にして思えば、これもディベーターとして名乗り出した私からの反論を封じる小賢しい工作であったのかもしれない。
しかし私は黙り続けた。論争の「裁き」には再び巻き込まれたくないという警戒心からだ。本多勝一対イザヤ・ベンダサン。この少し前、山本七平と佐伯真光の誌上論争のジャッジを頼まれ、いやな思いをしていた。某週刊誌上で繰り広げられた「宣誓論争」(http://www.geocities.co.jp/WallStreet/8442/opinion/sensei/index.html)、そうあの事件だ。
山本七平氏は、『日本人とユダヤ人』そして『空気の研究』等で知名度は高かった。論争のあった週刊誌上で、私のディベート教育必要論に賛同し、ついでに佐伯氏との論争を裁いてもらえないかという願いも付け加えられていた。
その記事を読んだ論敵の佐伯真光教授が、私のオフィス(日興證券秘書室)を訪れ、「私もそう希望します。裁いて下さい」と言って、これまでの山本七平氏との論争にまつわる資料をごっそりと持ってこられた。
もう逃げられない。
「松本氏のNHK教育テレビ番組を見ています」というから、私のファンであることは間違いない。板ばさみになった。それにしても、単なる英語インタビュー番組なのに、NHKというネームバリュー(英語ではname recognition)はすごい。
しかし私は、佐伯氏の論敵である山本七平氏とはもっと近い間柄にあった。2回も対談をしているのだから。彼の『空気の研究』で見せた分析の冴えには脱帽していた。
だが、ディベートという知的論戦となると、「情」をはさんではならない。
ある旅館にこもり、徹夜で全資料に目を通し、両論客の論点を整理した。
山本氏はさすがユダヤ教の大家。一方、佐伯氏は、真言密教の権威者。
どちらも面子だけは失いたくない。
その4につづく |