出世する人は、ネアカ。捨てられても逆恨みしない人。捨てた相手を愛で包み込める度量(ハラ)のある人。スティーヴ・ジョブズのように返り咲く人。起き上がりこぼし。人の成功を妬まない人。成功者を祝福できる余裕のある人。
つまりハラ(腹・胆・肚)のある人だ。
あの人にはハラがあるという場合、その人はよく喋る人だろうか。いや、よく人の意見を聴く言葉数の少ない人だ。懐の深い人こそ真のコミュニケーターと呼ぶべきだ。
Rivers that run deep. と表現できる。
ここまでは、だれでもいえる。
ところが逆転の発想で「出世しない人」「コミュニケーションのできない人」となると、なかなかペンが進まなくなる。「失敗の七原則」を書いても読んでもらえない。
しかし、他人の失敗例を他山の石として学ぶ話ならできるはずだ。少なくともディベーターは物事を相対的に考えるので、影から光の存在を証明することができる。
嫌われる人――人生で失敗する人。
こういう人は、一言で言えば、「空気」の読めないプア・コミュニケーターだ。
私が一番苦手とする人は、「喋りっぱなしの人」か「黙りっぱなし」の人である。どちらも空気が読めないから一緒にいて疲れる。空気が淀んでしまうからだ。よく喋る人は、聞き手に参加を求めず、「間」を殺すから犯罪的だ。人間とは人と人の「間」なのだ。
人の時間を掠奪する人。一方的に電話をかけてきたり、スパムメールを送りつけてきたり、会えば自己宣伝をする人。これは極悪人。
次に、自分の話を聞いてもらうために、自分以外の人をおだてて、いつのまにか抜け目なく自己宣伝する人。
そうか人を紹介したり、褒めたりするのは、自分の話を聞いてもらうための「枕」だったのか。まるでマルチ商法じゃないか。
「こんな本がある」と熱心に本を勧める人がいる。本文を読めば、勧めている本人が引用されている。急にその本の著者と紹介者の「絆」、そしてその「意図」がミエミエになり、興ざめする。
(おいおい、オレの時間を盗むなよ)
そういうマイペースの人は、たとえ立派な人であろうと、人は距離を置いていく。「あの自己顕示の旺盛なやつ」という空気がいつの間にか醸成されてしまうが、ご本人の耳には入らない。逆恨みを恐れるからだ。
正論を語っているのに、人が離れていく。
「いい人なのに……」という共通の枕詞と共に、疎んじられてしまう。本人にはますますお呼びがかからなくなる。空気に裁かれているのだ。
その2に続く |