日本とバーレーンのサッカー試合を観た。サッカーには人を興奮させる何かがある。他のスポーツとどこか違う。多分、サッカーは最も戦争に似ているから、潜在的な愛国意識に目覚めるのではないか。国の威信をかけて、兵士たる選手が闘う時、個々のプレイヤーの実績や知名度、マスコミ受け(テレビ画面での露出度)などは影をひそめてしまう。
サッカーのもう一つの面白さは、ゴールを決めるのが難しいことだ。だから、接戦になり、0対0の引き分けになることも多い。
私の頭の中で、蒙古人と狼との戦いを思い出した。狼が増え過ぎると、神から与えられた霊力が落ち邪悪化する。だから人間が正になり、邪の狼を殺す権利が与えられる。狼が人間より強くなり、牛や羊をみな殺しにすれば、草原は失われる。
モンゴル人は、草原を守るために神(テンガ)により送られてきた。草原がなければ、モンゴル人もいなくなる。草原がなければ、草原に住むあらゆる生物は死滅する。反対に人間が狼より強くなると、狼という天敵がいなくなり、安心した羊や山羊や牛がガゼルのように大胆になり、草は食い放題となり、大草原は死ぬ。狼もしたがって、大草原を守るため送られてきた神の使いである。
狼と人間は対等の闘いを続けてきた。まるでサッカーを観るようだ。大草原という球場でフェアに闘う。モンゴル人と狼は、お互いを恐れ、そして畏れながら神聖な戦争を闘ってきた。そこで使われる自然発生的なルールはきわめてスポーツマンシップに近い。
多くの狼を殺してきた、モンゴルの狩人は、死んだら、狼に食われることを望んでいる。
神という大自然の審判の前には、フェアであらねばならない。
その深遠な意味が羊化した中国人には理解できないと、モンゴルの長老は言う。
「オレたち(漢民族)は、死んだら、土に埋められたいよ。焼かれる方が、狼に食われるよりましだ」と中国人が反論すれば、モンゴルの長老は反対する。
「漢民族はもったいないことをする(You Han are wasteful.)。人が死ねば棺桶が要る。荷馬車に使える木材をムダにしている。オレが狼に食われれば、神木の節約になり、神から魂を救済してもらうことができる。肉を食うものが食われる肉になる。それは献血 ―― フェアじゃないが。自然は巡り続けるのだ。漢民族は、「もったいない」という価値観がないとみえて、狼を皆殺しにしてしまう。自然を破壊してしまう。実にもったいないことをする」
モンゴル人は狼、中国人は羊だと中国人を侮辱したので、北京政府から睨まれた、漢民族のJiang Rong氏(偽名)は、よほど内蒙古の大自然の掟に魅せられたようだ。
大草原という環境を守るには、人間も狼も神の使い、そして彼らが演じる死に物狂いの線戦争儀礼もご神事なのだ。地球を救うのは、やはり古神道ではないか。サッカーの試合を観てふと感じた。
その2につづく |