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同時通訳とバイリンガリズム 〜 その1〜

昨年の7月2日、同時通訳のパイオニアで、完璧なバイリンガルであられた西山千師匠が逝去された。生前に、「先生のことを書きますよ」と約束したこともあり、執筆し始めたものの、遅々としてペンが進まず、すでに一年近く経った。

そもそも、師と私を結びつけたのは、あの同時通訳という話芸であった。大衆の前で見せつけられた、師の同時通訳のパフォーマンスはまさに神業であった。この衝撃の出会いが縁となり、上京を決意し、米大使館で師から同時通訳の直接指導を受けることになった。

同時通訳は難しい。
日系米人ならバイリンガルだから、二ヶ国語がペラペラで、同時通訳に入りやすいでしょう、と師に伺ったことがあった。

答は「いや、できません」であった。その理由はハッキリとは覚えていないが、日米両言語がペラペラである(バイリンガル)ということと、二つの文化が理解できる(バイカルチャル)のは違うということだろう。

言語と意識の流れ(フロー)を同時にイメージ交換して、伝えるには、バイカルチャルであることは最低必要条件だろう。よく、英語がペラペラな人、海外経験が長い人が、語学の頂上を目指した心境で、「同時通訳をやりたいのですが」と相談してくることが多いが、私も西山名人と同じように、冷たくあしらうだろう。

師が私の英語を耳にせず、「一緒に同時通訳をやりませんか」と声をかけ、推薦して下さった背景には、私が日本から一歩も出たことがないというハンデが、かえってバネになると考えられたからではないか。

一つの文化と言語を堅持する気概で、対立する言語と文化に必死の思いで挑む姿、そしてその気迫が買われたのではないか。それがバイリンガルとバイカルチャルの違いであり、私が早期英語教育に抵抗を感じる一つの理由でもある。

その2につづく

2008年7月8日
紘道館館長 松本道弘