ところが同時通訳という瞬間芸は、話者のしぐさ、沈黙や目つきなど、非言語の分野までを言語化しなければならないので、語用論(プラグマティックス)という三次元の世界にまで進出しなければならない。
このように思考を立体化してこそ、低次元時代の自分の英語がいかに未熟であったのか赤面でき、上達できるのである。しかし、プロ同時通訳者は、言語は進化するという現実との闘いであるから、人に英語を教えたり、物を書いたり、過去を振り返って、のんびりする余裕などはない。
一生学び続けるのが、同時通訳プロの「行」なのである。テレビ出演などで舞い上がっているヒマはない。
三次元だけでとどまってはならない。四次元に至らなければ、同時通訳のプロになれない。
師は私にそんな言葉を残されたわけではない。
ただ、ある日同時通訳のブースの中で、私が俯いてメモを見ながら同時通訳していた時に、「話者(アメリカ人)の表情を見て、訳しなさい」と叱られたことがある。
表情を訳せと言われるのか。
もう、意味論や語用論の域を超越した四次元。同時通訳者は常に苦海に浮かんでいる。島が見えないことが多い。同時通訳のブースの中で、回されてくるメモが恐ろしかった。
ある日こんなことがあった。先が見えないブースの中で、メモが回ってきた。
(また叱られるのか)
その時のメモはなんと、「同時通訳は難しいですね」。
横に座っておられた師に顔を向けると、ニッコリされた顔。
あの屈託ない笑顔は、今も忘れない。
同時通訳の鬼の顔が、童顔に見えた。
この名人の思考は、いったい何次元の世界を遊泳されていたのであろうか。 |