ノリのいいのはB型だが、別に私の説ではない。ディベーターらしく、演繹的推理を用いて私なりの応用編を披露したまでなのだ。こんなに仮説がうまく実証されるとは思いもよらなかった。
40代前半の私は、生意気盛りで、恐ろしいものはなかった。
だから、アメリカでも自説の血液型論をひっさげて、多くのアメリカ人とディベートをしてきた。能見氏のような大家と対等に闘えたのも、私には英語という必殺技があったからだ。英語 ―― いや英語を通じて得た英語情報≠セ。
今でもはっきり覚えている。
ホームステイをした、コネチカット州で、生物学の教授と真っ向からぶつかった日のことを。相手が、「血液型で性格なんかわかってたまるか」という信念の持ち主だったから、私とのディベートは火花を散らしたまま数時間にも及んだ。
この二人のやりとりを横で聞いておられた教授夫人が、私にこう述べられた。
「私は傍観者でしたが、あなたと私の主人のディベートは互角よ」
「じゃ、もう1ラウンドやりましょう」と私も再戦を望んだ。
しかし、相手はかなり戦意を喪失されていた。なぜだろう。
私のトドメが効いたのか。それはこういうことだ。
あまりにもこの生物学教授が私の議論に楯突くので、奇襲作戦に出た。
「じゃ、私があなたの血液型を当ててやろうか」
「いいとも」
「あなたは、B型に違いない。日本からの論客にここまで執拗に反論する気質は、B型しかいない」
「そうだ、私はB型」
それから、博士は黙ってしまった。数日後、同博士に会った時、一冊の分厚い氏の蔵書『Biology』(生物学)を私に手渡された。「あなたの理論はここに書かれている」と。
B型は勝負にこだわる。しかし、勝敗に関しては淡白なところがある。
その5につづく |