ビートたけしといえばお笑い。それがマイナスに働くことがある。笑わせる男というイメージをbeat(打ち負かす)ために、殺しの(hard-boiled)映画に出る。お笑いではナニワ芸人に勝てない。
笑いは漫才を中心に全て上方に支配されて、東京で生き残ったのは「ツービート」のみ。そこで「べらんめえ調」の猛スピードの漫才に切り換えて挽回。いまや日本一の芸人。上方芸術派の私もあのビートたけしの天才ぶりにはシャッポを脱ぐ。とにかく北野武は世界の映画監督になったのだから。
しかし、所詮 ―― いややっぱり ―― O型。自己顕示欲の強い芸術家肌。O型の和田アキ子と同じく、自己を前面に出す。自分の歌を何回も聞く。ヴォリュームを上げて聞く。この神経。いや無神経。もうA型はひれ伏すばかり。
たけしの『アキレスと亀』。これは自分が描いた絵をすべて映画化する。自分が大好きで、自分が大嫌いな芸術家。自分の娘にも絵の具を買うお金が欲しいと無心する無神経(映画のシーン)。そういう不様な自分が可愛くて仕方がない。O型には人を見下し、そして自分自身を見下す ―― そういう二重性がある。
しかし、O型は自分では一貫しているつもりなのだ。稀代の上方「お笑い」芸術家・藤山寛美を思い出す。豪快に借金をする。しかし、「松竹はワイが食わしたるんや」という驕りがどこかにある。藤山寛美は「つぶすには大きくなりすぎた」(Too big to fail.)を地で行った。
AIGのようにここまで大きくなりゃ、米政府もつぶせるわけがない。これもtoo big to failだ。とにかくスケールがでかいのだ。Aが憧れる世界。ジュリアス・シーザーのように大借金をかかえても、いやかかえたからこそ、不敗のまま、ローマ帝政を拡大し続けた。
彼の気質はマーケティングに強いO型。ビートたけしのようにスケールがでかい。
A型の私には溜息が出る。借金だけはしたくない、世間に恥をさらしたくないと、小心翼翼としている。
その5につづく |