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論道とソクラテス対話のすすめ 〜その3〜

アメリカ人は馬鹿か? アメリカはますますローマ化していく。シニカル(冷笑的)で非情になっていく。今のアメリカはローマ文明の末期そのものだ。ビル・ゲイツだけが私が救うとハッスルしているが、ジョージ・ソロスはサジを投げかけている。しかし論争は続いている。

アメリカ大統領選のディベートも醜いものだった。個人攻撃(going negative)するたびに泥沼化(down and dirty)していった。こんな論戦は争点(issue)を争う本来のディベートではない。

ソクラテスを悲しませるだけだ。ディベートに<道>を求めた私を応援してくれる人は、日本人学者より、外国の哲学者に多いような気がする。私が必死の思いで説くディベート道が、日本で理解されなければ、思考を海外に飛翔させてみる他はない。

私がサッカー・ディベート普及のために用いてきたソクラテス対話、そして、これから学ぼうとしているシュタイナーの教授法と比較すれば、私がたどりついたヘクサゴナル・ロジックによる真理探求の方法がよりクリアになるだろう。

ディベート道を求める人はバランスを重視するがあまり、極端に走ることを嫌い、中庸を好む。これがギリシャ化だ。そのことを塩野七生氏は教えてくれる。

「しかし、ギリシャにはじまる地中海文明は、中庸を最重要視する。中庸とは、日本の辞書では「偏らない中正の道」などとあるが、そのようなものがはじめから存在するならば人間は苦労しないですむのである。人間性を直視すればそのようなけっこうな「道」は存在しないことはわかるので、古代のギリシャ人が考えたのは、相反する二つの「道」の間でバランスをとる、という生き方だった。公務重視のストア派に対して哲学者エピキュロスが説いたのは、私務というか自らの心の内というか、そのような内的なことのほうを重要視する説である。」(塩野七生著『ローマ人の物語30』P.137 新潮文庫)

この中庸とは、かつての中国人、ユダヤ民族が大事にし、求め続けてきた誇るべき価値観だが、どういうわけか、オール・オア・ナッシング思考の日本人の思考には馴染みにくいのか、なかなか定着しなかった。

だから、私は、バランス思考を重視する余り、ディベート道(論道、あるいは究論道)を提唱してきたのだ。

 

2008年12月16日
紘道館館長 松本道弘