英語おちこぼれ青年が、どうして米国大使館の同時通訳になったのか。
このあたりの疑問がたちばな出版の編集部から急に湧き上がってきた。
秘伝を語り下ろすという企画だ。
この狼の私に? A wolf at the door. (狼が来たあ――)と、学習者が騒ぐのではないか、とか、びびって英語学習を投げ出すのではないか、と抵抗したが、「それも覚悟のうえ」という。
だれでもできます、と、猫なで声で赤ずきんちゃんに近寄る、とんでもないa wolf in the sheep skinがいる。本当は、狼は赤ずきんちゃんに殺害されたのだが、キリスト教信者は、狼が殺害したというふうに改竄してしまったのだ。
狼を野生に戻せという運動を展開されている丸山直樹博士(東京農工大名誉教授)から直接聞いた。宗教リーダーにとり、素直な羊が一番扱いやすく、主イエスの言葉に耳を傾けない山羊(goats)は地獄へ堕ちるぞ、と脅した。生贄の山羊にされた。
山羊は野生に近くて(ケルト民族)扱いにくく、さらに狼集団(wolf pack)は手におえない存在だから、悪魔の集団に入れないと気がすまない。
赤ずきんちゃんを殺したという濡れ衣を着せておかなければ、宣教できない。布教を邪魔するものは死んでもらおう。
神に愛された羊たちの英語人生を分析してみたい。
キリスト教の牧師は、My flock!(羊たちよ)と呼びかける。羊は柔順で、使い道がある。羊毛、肉――それでも抵抗しない。
わき目も振らず草を食い続ける。神から見て可愛くて仕方がない。
しかし、モンゴル人やモンゴルの神にとり、迷惑な話だ。草も生きているのだ。つまり、生き物を殺し続ける羊たちを、放っておくことはできない。
だから神は狼を地上につかわした。狼は西洋でいうイエス・キリストのようなもの。草原の殺害者の人口を制限するためのウルフたちは、自然の味方である。羊が増えれば、草原は死に、砂漠化が続く。日本でも狼を祀っている神社は多い。
その2につづく
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