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石の人間

ロジックや哲学のしっかりとした人間で、空気に流されない人がいる。Principled peopleは信頼される。白洲次郎が金科玉条にしたのがこのprinciple(筋)である。めったに情に流されない。このクールな人間は、ESSの中ではディベートのヒーローとなる。

大学時代、柔道部の部員であった私は、英語を話す人間の中で、ディベート・セクションの人間を一番嫌った。あの空気の読めない無機質なやつらめ、と。英会話の愛好クラブにぶらっと立ち寄り、一方的にしゃべりまくり、会をぶっこわす破壊的な詭弁の達人が多かった。

空気に逆らう、クールな論客。これがESSディベーターのイメージで、その頂上にあったのが、オウム(今は宗教団体ひかりの輪代表)の上祐であった。エゴが強烈だが、愛国心に乏しい。ESSの中では、ディベートは禁じ手であった。

ディベートは英語でやるもので、社会へ出て、日本語でディベートを周囲にふっかければ、自殺行為になるぞ、というのが、先輩が後輩に残した老婆心ながらの警句であった。そのESSディベートの伝統をこわしたのが、このプラグマチストの私だ。

日本の社会でも使えるディベートは、ディベート道(論道)でなくてはならないと、「水」の論理と「空」の哲理で固めた「石」の信念で立ち向かった。そのためにESSのディベーターの多くを敵に回した。もちろん、味方も多く得た。石と石が闘えば、火花が散る。しかし、衝突を恐れては、革命はできない。革命は、自己の内部から起こる。

一番ディベート嫌いな私が、ディベートに燃えたのは皮肉としか言いようがないが、オバマ米大統領の伝記を読んでみても、彼自身がcynics(冷笑者)の一人であったことを認め、今じゃ、彼の足を引っぱる論敵を、冷笑者だと決めつけている。

だからこのブログのシリーズ「風の人間」のコラムで述べたように、人間はすべて風ではないか。現状の変化に順応しながら、進化していくのが生物の知恵だから、風に乗らなかった動植物はすべからく滅びるのみだ。石だって、風化するのだから。

だがディベートの基本である石のロジックを馬鹿にしてはいけない。大理石の建築物は、一番長持ちするものなのだ。

2009年5月5日
紘道館館長 松本道弘