なんだそんな単純な立論か。じゃ、すぐに崩せる、と読者は思われるだろう。
そうだろうか。この立論にはかなりの地雷が埋められている。
すべての議論(argument)は、証拠により証明されている。その証拠が崩せるか、それともカウンター・エビデンスが用意されているか。
もしその一つの議論(たとえば「自己改革が必要」という議論)が崩せなかったら、最後まで尾をひくことになる。
最後に、この議論に対し反証されていないから、私たちのこの議論は有効のままです、というふうに聴衆に訴えると効果的だ。
セルフ・チェンジが必要であることが認められた。そのチェンジの効果的な選択の一つが、イスラム教への改宗だといったが、それはだめだと反論された。
では、否定側はどのような自己変化をオバマに求めているのでしょうか。
この点への言及がなかったから、この点でも我々の議論は崩されていません。我々は、このままでは、オバマの政治生命は危ういと、歴史的証拠をあげて証明しましたが、否定側は、なんら証拠を示さず、オバマを暗殺する理由はない、という常識論だけで反論されています。(マルコムXがネイション・オブ・イスラムに改宗してから、暗殺されたというような証拠があれば強打であったが)
このように、ディベートの達人は、まず立論をcaseあるいは城=icastleは私の意見)として固めるのが巧い。敵側が城中にもぐり込んで図面を盗もうとしても、城内にもカウンター・インテリジェンス(対忍者情報網)が張り巡らされている。
私が立論を書くときは、もっと巧妙な仕掛けをつくる。Red herring(赤いニシン)という戦略だ。「暗殺されるだろう」と誘い水をかける。敵は、これに噛みつく。暗殺されないという理由をこれでもか、これでもかと加えて、時間を失っていく。そして、肝腎なポイントに噛みついてくることはない。
改宗することにより、暗殺が防げる、という証明を崩す方が有効なのに、暗殺されるか、されないかという泥沼に追い込まれてしまった以上、他より大切な議論を攻撃するタイミングを失う。
赤いニシンの臭いをかがされた猟犬たちは、そちらの方へ走ってしまう。議論の哲学(principle)の弱い日本の政治家などを罠にかけることなど、いとも簡単だ。ディベートに関しては、この道40年というベテランだから、関心のある人は、一度紘道館へ足を運んでいただきたい。
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