憂いが晴れて、ホッとした時に、発せられる「やれやれ」はgood grief。「憂う」とはto grieveのこと。その名詞がgrief。「イ」が続くと気の毒になり、心痛するfeel grief気になる。イが続く、イライラ、そしてイーッとなることがある。その憂うつな気持を引き起こす源流は、やはり憂いのウだ。
とにかく私が目をつけているのが、このウの音霊と縄文語の関係だ。東北弁に関心を持ち始めたのもこのウ音だ。そして、griefのグ音だ。濁音も東北弁に多い。『縄文語の謎』(北の杜文庫)の著者である阿部順吉氏は同書の中で、「ウザネ(憂音)吐ク」の謎に迫っておられる。
「ウザは、ウサ(憂さ)であり、形容詞の「憂い」(辛く悲しい状態)の語幹に接尾語「さ」のついた、ウサ、ネ「憂さ音」(あまりの辛さにあげる音声)と解したいのです。つまり「ヨワ、ネ(弱音)吐ク」などの場合と同じなのです。北(ふるさとの)縄文人たちは、生きることの厳しさにどれほどに「ウザネ」を吐いたものかはかりしれないのです」(P.33)
沖縄へちょくちょく飛ぶが、ここでも縄文語が残っており、ウ音が圧倒的に多い。「憂い・愁い」を和英で調べてもgrief, distress, sorrowが出てくるが、blueというウーの音霊を加えれば、もっと用途は拡がるだろう。かつて、映画『ブルー・ベルベット』を観た。ある青年が惚れた、美しい婦人は、けだもののような男に虐げられていた。ウッと息を呑んだ。その憂鬱は、blueでしか表現できない。
その時に耳にしたsongがShe wore a blue velvet. 青いビロードを着ていた女性のことを歌ったまでだが、blueがbluuuuuuueとウ音がやけに長く引っぱられ、身も心も引き裂かれるような思いがしたものだ。
このblueの憂いがbluesの原点となった。このblues singerの気持が白人にわかってたまるかと、黒人歌手は開き直るが、たしかに、オバマ大統領好きの黒人のジャズ・シンガーのbluesを聞いていると、白人歌手には真似のできない、こぶし(小節)がきいている。
オバマは、ヴォーカル・グループのフィージーのリズムに酔いながら、そうオレもrefugee(難民)なのだ、難民らしく就任演説を歌ってみよう、と思ったのかもしれない。
フィージーもカリブ海出身の難民達から結成されたヴォーカル・グループだが、白人ラッパーのエミネムが台頭するまでは最も人気のあるグループだった。そのフィージーズもrefugeesを略したものだ。ユウが入っているから、正しくはフュージーだ。ウをとりイにすれば憂いやoomphというウウウと発声するふんばりが消え失せてしまうではないか。
前出の阿部順吉氏も『遠野方言誌』からUを発頭音とする語は時として之を消滅する(ウバエトリ、バエトリ、ワクガミがワガミというふうに)例を引用されながら、母音の消滅を悲しんでおられるようだ。別にウザネを吐いておられるわけではないのだが…。
『國文學』誌がフッと消えた。せっかく書き上げていた、この「英語の音霊」の原稿は、これで全て、吐き出す(spew)することができて、Good grief!と言いたい心境だ。
この館長ブログも消えていく。I feel blue …。しかし、Blue yonder(遥か彼方)へ消えるわけではない。どこかのブログで再開するだろう。私はパッと花を咲かせる(blossom)タイプではない。じわーっとbloom(ウ音)させる教育者だ。
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