大学を出た人にはピンとこないが、低学歴の人には、ぜいたく過ぎて妬ましく感じる、あの「遊び」の期間が――モラトリアム――蛹≠ネのだ。
大学という最後の楽園で、ボケーッとしていても、その空白の期間は息づいているのだ。思考が停止しているように思えても、そこで得られた学友ネットワークは生涯の財産となる。
大学時代は商学部にいたが、商業の授業が大嫌いで、専門知識は身につかず、好きな柔道と英語しかやらなかった。その蛹期間が、今はこんなに役立とうとは思わなかった。
蛹とは英語でいえばpupa。ピューパーという「ユウ」の音霊に注目して欲しい。
an insect in its inactive immature form between larva and adult, e.g. a chrysalis (Oxford Dictionary of English)
活動はないといっても、幼虫が成虫になる前のcritical periodだから極めて重大なときなのだ。動けば死ぬ。じっとしなければならない我慢の時なのだ。
私は自分が天才ではないかと、ふと考えることがある。それは、人生での勝負に強い(私はよく負ける)とか、知的に優れている(優れていない)からという理由ではなく、遊び方というか息抜きの方法を知っているという点であろう。スズムシの世話をしていても、疲れず、かえって癒されるという、真空期間もその一つだ。
学校での教育の期間など、トータルな生涯教育期間の中では微々たるものだ。なぜ私が突如断食をするのか、なぜ私が資格を与えないが、生きるエネルギーを与える私塾(紘道館そして女・紘道館)教育にエネルギーを注ぎ込むのか。
それはロマンチスト(完全変態型人間)が必要とする蛹の「間」だ。
この「間」は、critical pause(生死を決定する静止期間=西山千師匠の訳)と訳すべきだろう。黙想……
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