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「間」は英訳できるか @

コーヒーの飲み方にも道がある。
コーヒーブレイク。これは道草を必要とする求道者にとり、究極の「間」である。「間」は単なるspaceではない。それもある。We need to give ourselves space.といえば、「夫婦といえどもお互いに間は欠かせない。」が第一義だが、二人が別れるための序曲なのか、単にマンネリの打破か、それとも情愛を深めるための建設的な距離感なのか、その意味は状況によって変わる。「間」がspaceからtimeに化けることもある。新しい塾頭であれ、社長であれ、就任当初はもたもたするものだ。ちょっとした失敗ぐらいは大目に見てやれ。Give him time.と周囲が温かい目で見てくれる。この時空を超越した「間」とは英訳しにくい概念だ。さしずめ“the ma”というところか。
この通訳者を悩ませる難訳語をどう訳せばいいのか。同時通訳の草分けであった我が師、西山千に訪ねたことがある。やはり苦労をされたことがあったらしく、間を取って「Critical pauseじゃないでしょうか。」と答えられた。クリティカルというカタカナ英語ではなく、ネイティヴ並みに「コれれコ パーズ」と発音されたときは、「え?なにポーズ?」と聞き返してしまった。Criticalをク・リ・ティ・カ・ルと五音節ではなく、一音節で発音されたから戸惑ったのだ。Criticalとはある局面を左右する決定的(重要な)という意味である。同時通訳の天才、西山師範は、生涯日米の「間」と闘ってこられたのだ。Critical pause(命懸けの休止)という発想は、人生を真剣に生きた人からでしか生まれない。音楽で言うfermataとは延音のことで、音符や休止符を長く持続する記号のことだ。Breathing space だから、musicalだ。
「間は魔」という人もいる。人を活かすも殺すも「間次第」ということだ。勝ってガッツポーズする柔道マンは「間」の恐ろしさを知らないスポーツマンで、武道家の風上にもおけない。武道家は「残心」を怠らない。英語ではopen attentionという。戦いのあとに来る「間」は息抜きであってはならない。戦争のあとに来るのは平和ではない。動と静は同時に存在するものだ。その「間」を持続させることが「残心」である。集中力をいつまでもopenにして、途絶えさせないことだ。
少なくとも、英語道の創始者としての私は、武道家の意地としてこの残心を怠らぬよう心掛けてきた。多分十三歳の頃から今日まで毎日書き続けてきた当用日記のおかげである。書き終えたあと、翌日の日記の一頁が息を殺して待っている。当用日記とは滞ることを知らぬ川の流れのようだ。残心を怠ることは、書き手の意地、いや生命の流れを断ち切ることだ。

 
 
2013年4月23日
紘道館館長 松本道弘