いい本(ロングセラーのこと)になるかどうかは、writerとeditorとの間にほどよいchemistry(呼吸の間)がなくてはならない。和久利さんとコーヒーを飲みながら雑談(人生相談)をするのが楽しみだった。この快適な空間。こんななんでもないひとときの和久利大先輩の一言が、今も鮮明に私の記憶として残っている。
「コーヒーの飲み方にも道があるんですよ。」
その間とは、まさにcritical pause。この瞬間を見逃しては「取り返しのつかないミス」になる。英訳すればcritical mistake。この瞬間を見逃さず、じっと聞き入った。
「私はこうして英語を学んだ」の時の編集担当者は吉戒さんという優秀な編集者だった。できる編集者は決して筆者を閉じ込めるcontrol freakではない。筆者を解放させる人のことだ。間の取り方が巧い。英語と英語のあいだのコーヒーブレイクではなく、コーヒーブレイクのbreak(間)とbreak (間)が「間」の英語道の真髄だ。ブレイクで読者の呼吸を盗むのが「術」であれば、その「術」で「道」に導くのは、決して邪道ではない。術か道のどちらが先か。野暮な質問だ。答えはその「間」になりそうだ。
あれから随分月日が経った。故人に変わって私がコーヒー道を引き継ぐことに相成った。
NHKに登場した頃は、英語道参段。髪の毛も黒かった。パートナーのTIMEを片手に胸をときめかせながら喫茶店に入ったものだ。しかし時代が流れ、独りで世界中を行脚し続けると、TIMEが伴侶となる。妻も空気のようになる(like the air we breathe)と、かつてのようなときめきはない。段位も零(ゼロ)段と決めてから、気が軽くなった。まだTIMEのカバートゥーカバーを読んでいるのか、という問いに対し、「仕事だから part of the job(パーラヴざジャッ)」と口語表現で答える。
英語でも日本語でも同じ。情報のみを求めている。記事の情報を連結する骨組みが気になる。Reading between the bones の時代になった。NONESのニュースキャスターの仕事は情報の流れをつかむのが仕事だ。
喫茶店に入り、smelling the coffeeという序曲から始まり、先週は世界で何が起こったのだろうか、とまず想像力を膨らませる。全米で最大の速読学校「エヴァリン・ウッド」で聴講して学んだstructuringだ。まず目を脳に変えて思考を凝縮させず、ザーッとページをめくりながら思考を遊ばせながら、構造(骨組み)を探る。この「遊ばせながら思考を組み立てる」というのは名人のTIME読書法だ。イメージを膨らませる。
ブラジルの記事だ。南米と北米の関係はどうなるのだろうか。四、五分かかって、ふーと目をつむる。砂糖を入れる。ガザでまたドンパチか。イスラエルはなにをやってんだ?またアメリカが敵を作った。いや待てよ、あのエジプトのムルシーはアメリカのファンだったな。それでもイスラム圏だから心が許せない。Friendでもenemyでもない―frenemyなのだ。今飲んでいるコーヒーはエジプトの豆を使っている。ツタヤで借りた「おいしいコーヒーの真実」のDVDを昨夜観て唸った。エチオピアで餓死する人が相次いでいる。この地域では47%がコーヒー豆の輸出で食べているのだ。ニューヨークのスタバで飲むコーヒーの値段は現地の十数倍。ひどく搾取されている。コーヒーを汗まみれになって栽培しroast(焙煎する)されて、世界中に輸出される。現地の人よ、ありがとう、と祈りも込めてコーヒーカップを口寄せ、なめてみる。甘さが広がってくる。よし、今から速読だ。エチオピアから中近東各地へ飛んでみるか。身も心も軽くなった。しかしキャスター(an anchor)の仕事は自分だけが楽しんではならない。