皇室の緑化(民主化)は、青の「仁」を緑の「愛」に変えた。
家よりも個が単位となった。いわゆる皇室危機とは、日本文化の危機(national identity crisis)のことでもある。
まず日本人の色彩感覚も変わってきた。伝統の街、京都からも青が消えていく。藍染の注文がないと嘆かれるのは、小谷正夫理事長(京都府繊維染色工業組合)である。
しかし、私の調査の及ぶ限り、洛北の八瀬や静原の集落の人たちは、天皇家の忍者といわれるだけあり、今でも控えめな紺かすりが大好きにみえる。昭和天皇の御大礼の節も、八瀬の童子十七名が御羽車(御輿)をかついだ。いや、畏れ多くも駕輿丁(かよちょう)としてかつぐという名誉に浴されたという。
八瀬童子の棟梁といわれる宮城忍氏(63歳)は御所の警備の命を賜られてきたお方だが、今でも葵まつりとなると村を挙げて参加されるという。このひっそりとした集落は高齢化が進んでいるが、村人たちの誰一人として皇室のお庭番としての誇りを捨てた人はいない。
御所のガイドをされている宮城忍氏と、ある夜遅くまで、じっくり皇室危機をめぐって語り合いながら痛飲した。皇室機能は京都へ戻すことが必然の理と考えて譲らない宮城忍氏にこんな不躾な質問をした。
「いくら天皇を京都へ戻すという希望が財界人や年輩の京都人におありでも、警備の面に関しては、東京にはかなわないでしょう。だいいち京都にはお堀もないし……」
その時、宮城氏の形相が一変した。眼が異様に輝き、語気強く反論された。
「塀が低いから襲われないんだ。これが一千年以上も首都として京都が続いてきた知恵じゃないのか。塀が高ければ安全なんですか。命懸けで御所を守る人には、塀の低さは全く問題外!」
この八瀬童子の気迫に圧倒された。そして心が洗われた。『葉隠』が強調する「物狂い」を実践されている奉公人道の意地と誇りがそこにあった。
忍、刃の下に心を匿し続ける青い忍者が厳存していた。「生粋」を英訳すれば、true blue(誠の青)になる。