::松本道弘 巻頭言
::例会報告
::松本道弘プロフィール
::紘道館とは?
::英語道とは?
::館長ブログ
::松本道弘 日記
::斬れる英語コーナー
::書き下ろしエッセイ
::松本道弘著作集
::講義用テキスト(PDF)
::松本道弘対談集(動画)
::ナニワ英語道ブログ
::日新報道
::TIME asia
::ICEEコミュニケーション
  検定試験
::ワールドフォーラム
::フィール・ザ・ワールド
 
お問い合わせ先

 愛人は故人の葬式で線香の火を点じることも許されない。籍に入れない愛人と、その子供は私生児として、死後も認知されず、紺碧の彼方で無念の涙を流す。いや、涙が流せるのはグリーンの世界だ。ブルーの世界は裏の裏で、人情は「甘え」でしかない。映画『千と千尋の神隠し』に登場する顔の無い幽霊のようなものである。
 そもそも浮遊霊なるものは、消え去れば問題はないが、緑の未練に負け、故人に服(まつら)い続ければ、愛(かな)しい。映画『魂萌え』は、青が主張し、緑に挑むから、「あお」同士の異種格闘技となる。
 海の神ポセイドンは、航海する人間に嫉妬した。神は妬むことが許されぬブルーで、人間は愛欲と嫉妬で濁ったグリーン。そこに「けじめ」という間があった。正妻と二号の「間」にはけじめがあった。少なくとも亡父(明治生まれ)の時代には「けじめ」があり、離婚はタブーであった。たましいが衝突しても「間」があった。白か黒かに塗りつぶすことの許されない灰色の部分があった。子が産めるか、産めないか ―― 越せぬ一線があった。
 しかし、ギリシャの論理はその「間」を埋める。神が人間並みに心を焦がすのであるから、ロジカルというよりも滑稽である。
 ギリシャといえば、その冷徹な論理に妬きながらも、惹かれた、故三島由紀夫が私のペンの能舞台に主役(シテ)となって舞い始める。
 「金輪」か「道成寺」の狂いか。舞台は嫉妬に狂う女の性(さが)を燃焼させる。