映画『クィーン』には考えさせられた。ダイアナ元妃の事故死により、英国王室が存続危機に追い込まれる。
民間の緑と、皇室の青との確執が続いている。ダイアナ元妃は、グリーン系の色を好んだ。彼女が一番心を寄せた恋人もグリーン好みであった。
俗なる緑(ダイアナ)と、聖なる青(エリザベス女王)との張り合いゲームには、マスメディアや政治が巻き込まれた。メディアは常に大衆を味方につけ、リベラルな立場から反権力のポーズを崩さないが、現実(ダイアナを惜しみ、皇室を憎む大衆の声)と理想(皇室伝統保持)のバランスを求めるトニー・ブレア首相の処世術(ソーシャル・スキル)も見事だ。
ブレア首相は、正式な祭典では常に地味な色の背広を着用する。彼は皇室の近代化≠ニいうマニフェストを掲げ、大差で、しかも史上最年少で首相の地位を射止めたのだ。
その直後、エリザベス女王に謁見するが、紺色の背広とネクタイで臨んだ。青は慎む色だ。
女王は、淡い青色のドレスで迎えた。スタートは良かったが、あの奔放なダイアナ元妃の事故死により、国民のムードは変った。
国民はマスメディアの煽動に踊らされたのか、ダイアナを被害者に仕立て、まるで皇室が加害者であるかのような反応を示した。日本に於ける皇室報道も、さほど極端ではないが、本質的に変らない。イギリスで再び皇室廃絶論が浮上した。
女王は悶々とした日々を送る。
(困ったわ、あの女(ダイアナ)のお陰で)
(もう、ロイヤル・ファミリーのメンバーではないはずなのに…)
(今の皇室のままなら、クィーンにはなりたくないと、BBCのインタビューに答えて私に恥をかかせるなんて)
ホンネを夫に向って吐くプライベートの空間は明るい色が支配している。彼女のガウンの色は、赤かピンク。そんな暖色環境では、彼女の皇室スマイルは消え、一人の人間として、家族の母としての素顔に戻る。
赤は、血族結束のシンボルである。国民の母であるという青の建前とは裏腹の本音の世界がそこにある。ロイヤル・ブルーの底流では、赤い血脈が流れているのだ。
国民の母としてダイアナ元妃に弔意を表すゼスチャーを示した方が国への奉仕、ひいては皇室の存続にも繋がるという押しの強いブレア首相の意向を汲んで、異例の声明を出す。
赤(私)の意地を捨てて、青(公)の戦略に変えた。ブレア首相にひざまずいた、と第一面で報道した新聞もあった。
本当に政府の勝利なのか。勝ち誇ったトニー・ブレア首相が、再びバッキンガム宮殿を訪れる。その時、迎えた無表情のエリザベス女王のドレスは、あざやかな紫色であった。青い糸は決して絶ち切らない。かといって、個人的感情である赤い糸も切らない。
皇室は譲らないわよ、という不退転の決意が伺えた。
ロイヤル・ブルーとは、少し紫を帯びた紺色で、イギリス王室の公式色となっている。赤がなければ紫は産まれない。
日本の皇室は濃紺のままだ。