20代の後半に戻ろう。私が米大使館で西山師匠の下でしごかれる前の、脂ぎっていた頃の話だ。
その頃には、二人の松本がいた。
東京の松本と大阪の松本。
東京の松本亨博士は、NHKラジオ講座で全国的に知られた英語教育界の天下人。大阪の松本道弘は、ナニワでは知られた英語使いであったが、全国的な知名度はゼロに近い。
60代の英語名人と、20代後半の英語浪人。英語のプロ・松本亨氏に英語で挑んだ私は、まさに向こう見ずのセミプロだった。英語で闘うという果し状レターには、「家康殿、宮本武蔵より」と締めくくった。つっぱりもいいところだ。
このブログでは書き切れないが、松本亨博士の教育哲学を書き留めておきたい。
氏も教育に厳しい人であった。当時の一番弟子の森氏は、便所掃除からさせられた。
「うむ、これで掃除したのか」
「はい」
「では、舐めてみろ」
私はトイレを舐めさせられました、としみじみ語る森氏は叱られ上手であった。そして師も叱り上手であった。「そりゃ、部下に対してあまりにもひどい。私が松本亨博士や奥さんに直訴してあげる」という人もいなかった。本当のtough loveと凡情(soft love)の違いは、周囲の眼にも明らかであった。
この森氏は、上京した直後、私に「英語プロの在り方」を教えてくれた恩人でもある。氏は、師匠のNHKテキストは全冊、完全に丸暗記していた。松本亨博士の講演会の前座を務める時でも、口にたばこをくわえたまま、腹式呼吸で師の英語を真似る。このパフォーマンスだけで普通の人は度肝を抜かれる。
私の流派とは違う。しかし、この厳格な氏の下に育ったもう一人の英語達人に、NHKラジオで著名な東後勝明氏がいる。更に、関東でも英語ディベート教育界で名を馳せたディベート・トレーナー岩下貢氏がいた。森、東後、岩下はすべて私と同期になる。
14年海外で斬れる英語を学んだ松本亨博士はまさに、名実共にナンバー・ワンの英語の使い手であった。そして別にアメリカナイズされたこともない。トイレ舐めの「行」はヤクザや極道が訓練に用いる苦行の一つである。
今、私は一日一冊の「行」を続けているが、昨日読んだ「極道のウラ知識」(鈴木智彦著、宝島社)からそのことを学んだ。うーむ、松本亨氏も私と同じく極道であったのか、と親しみを覚えた。
松本亨氏も女で苦労され、週刊雑誌ネタにもなった。しかし、誰もそのことに触れた人はいない。「私はナンバーツー。師匠の私生活のウラを知っている」と脅しをかけそうな人は周囲にはいなかった。
そういう禁じ手を師に使う弟子には、指をつめてもらうしかない。松本亨英語学校が日本一といわれた時は、最もヤクザ組織に近い時であった。大変な親分に、挑んだものだ。
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